昭和初期に訪れた英国人女性の見た日本

赤ん坊と母親
赤ん坊と母親

幕末から明治にかけて来日した西洋人が日本について書いた著作は数多くある。
男性による著述が多いのだが、明治以降には女性も来日し著述を残している。

明治11年に来日した旅行家のイザベラ・バード(英国人、「日本奥地紀行」)、明治17年に来日した外交官夫人のエリザ・シドモア(米国人、「日本紀行」)らは女性ならでの視線で日本の風景、社会、風俗を描いている。

時代は少し下るが、昭和の太平洋戦争前に訪れたキャサリン・サンソムも著作を残している。
英国外交官の夫とともに来日した彼女は、外交関係が悪化する中で、主に風俗、ファッション・アクセサリーなど身近なものに視線を向けて書いた「東京に暮らす」という著作がある。その中には、服飾や履き物など身の回りの描写は多いのだが、残念ながら髪形については触れられていない。
わずかに「頭の真ん中の部分だけを丸く残して髪を剃った」と表現した赤ん坊の描写があるだけだ。

彼女は絵心があり、著作の中の挿絵で当時の髪形を垣間見ることができる。曲線をいかしたシンプルなラインで描かれた絵は、21世紀のいまでも十分通用する。
彼女が描いた髪形は、明治後期に流行った束髪、西洋髪、またモガのショートヘアなどが見られる。日本髪も描かれているが、結婚式でのや芸者などで、昭和になると日本髪は、一般女性の日常生活からは遠ざかっていったようだ。

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日本の髪形を「超」高度から俯瞰すると、男性の髪は左右で髪をまとめる美豆良(みずら)から、中国伝来の冠位束帯・冠下髷から大きな影響を受けた。髷を結う風習が広まり、月代(さかやき)が生まれ、日本男性独自の髷文化を築いた。明治になると洋風化で西洋理髪が行われ、いまに続く。

女性は垂髪から、男性の髷の影響を受けて江戸時代には日本髪が百科繚乱、結われるようになった。江戸時代を通して300近い髪形が結われている。日本髪は明治になっても続いたが、明治中期にはより簡便で衛生的な束髪が登場。さらに大正から昭和にかけて電髪パーマでウエーブをあしらったショートヘアをする女性が増え、それが戦後のパーマヘア、そして女性が社会に進出してくるとカット&ブローでつくる多様なスタイルへと変遷した。

髪形の変遷をみると、画期となったのは奈良時代の中国からの冠位束帯の伝来と、明治の西洋理髪の伝来が大きい。
西洋では第一次大戦で多くの男性が戦地にいったため、女性が社会に進出し、それまでの華美なアップスタイルから簡便なショートヘアが主流になった。そのヘアスタイルが日本のモガの手本になった。

キャサリン・サンソムが訪れた昭和初期は、男性は洋髪か坊主、女性は束髪、洋髪、モガなどが混在する時代だった。

丘圭・著