天皇の理容師

明治天皇が断髪したのは断髪令が出された明治4年の翌年とされる。
それまでの天皇は奈良時代から続く、冠下一髻を結っていた。若い明治天皇も冠下一髻だったはずだ。
明治天皇の髻は、西洋理髪師の河名良吉という人が断髪したと伝わるが、平民身分の理髪師が天皇に触れるのを憚ったのか、以降は理髪師から技術を伝授された侍従が天皇の髪にあたった。

散髪の技術に比べ剃る技術は高度で危険がともなうためか、あるいは刃を天皇にあてるのを憚ったのか、侍従は天皇の顔剃りをしなかった。その結果、明治天皇は豊かな髭を蓄えることになったともいわれる。ただし残された肖像画を見ると綺麗に手入れされた髭をたくわえているものばかりだ。

理容師が天皇の髪を調髪するのは昭和天皇になってからだ。昭和天皇が皇太子時代、ヨーロッパ外遊したときに随行員として理容師が同行している。

天皇の理容師は何人かいるが、大場栄一氏(故人)もその一人だ。ご自身で理容の技術研究団体を主宰していた関係もあって何度かお目にかかったことがある。もうそのころは現役をほぼ引退した好好爺だった。若いときの写真なども見せてもらったが、中には背筋を伸ばし凛とした軍装姿のものもあったのを覚えている。

その大場氏に天皇を調髪しているときの様子などを尋ねたことがるが、非常に口が重かった。ただ天皇は礼儀正しい方だったとはおっしゃっていた。それと調髪しているときは、いつもウトウトされていた、という。

理容師と客は月に1回程度会う。ほどよい距離感があって、打ち解けた会話や軽口があってもおかしくはない。昭和天皇と大場氏との間で、どのような会話があったのか、それともなかったのか、あったとしても他人に軽々にしゃべることではない。それが理容という職業なのだろう。

もう一人天皇の理容師を存じ上げている。海津昇氏(故人)だ。某理容学校の校長をされていた。海津氏、大場氏に共通するのは、ともに人格者ということだ。天皇の調髪する理容師は技術が一流であるばかりでなく、人間としても尊崇される人が選ばれている。

ちなみに、昭和天皇が外遊に随行したのは大場秀吉氏で、大場栄一氏、氏のご子息も天皇の理容師を経験している。3代続く名門である。理容業界では広く知られているが、世間ではあまり知られていない。
「宮内庁御用達」の看板はたまに目にするが、理美容という仕事は、そのような軽々しいものではない。

丘圭・著