力士の大銀杏

江戸時代から21世紀に続く芸能、興行といえば、歌舞伎、落語、浄瑠璃、能、講談など多数あるが、いまでも多くの人に親しまれているのはなんと言っても相撲だろう。
相撲は古来は神事として行われた、伝統ある興行である。

浮世絵にみる力士の髷
浮世絵にみる力士の髷

いまの関取は総髪大銀杏を結う。髪が伸びていない幕下力士のザンバラ髪をみかけることもあるが例外である。
力士が結う総髪大銀杏はいつ頃から結われたのだろうか?

江戸時代の浮世絵に描かれた力士をみると、初期のころは元根を結っただけの、たぶさ髷の力士も描かれている(図・参照)。中期以降の浮世絵には月代に髷を結った力士もいれば、総髪にして髷を結った力士もいる。

月代をした力士も初期は武士のように引っ詰めているが、時代が経ると鬢(側頭部)、タボ(後頭部)に厚みを持たせている。商人に多く見られる髪で、柔らかい印象を与える。
そしてこの厚みが、いまの力士がする総髪大銀杏のように返しを入れた髪になっていく。

幕末、浦賀にやってきたペリー率いる黒船を歓迎するため幕府は米200俵を贈った。その際、当時の花形力士25人が米俵を担いだ絵がいまに伝わる。それを見ると、やはり総髪、月代の力士が混在して描かれている。1854年、嘉永7年のことである(図・参照)。

明治4年(1871年)に断髪令が出されたが、日本男子がすぐにザンギリ頭にしなかったのと同様、月代をした力士は明治になってもいただろう。明治20年を過ぎると大半の人はザンギリ頭になったが、そのころまでは月代の力士がいたものと思われる。(これはまったくの推測ではあるが。)

いま力士の髪は一般の人とは隔絶した姿になっているが、明治、江戸、さらにそれ以前は庶民、あるいは多くの下級武士と同じような髪をしていたのではないかと推測できる。

時代は21世紀の大相撲。外国人力士が大活躍している。
江戸時代に結われた大銀杏は髷先を単に広げていただけだが、いま力士が結う大銀杏は反り入れて半円状に鬢油で整えられている。また髷尻の長さも短くなり、江戸時代の大銀杏よりも整っているように見られる。
テレビに写る力士の中には月代を思わせる力士がたまにいるが、ただ単に前頭部が薄いだけである。

余談になるが、力士の髪を結う床山は、髪に関する国家資格である理容師免許、美容師免許がなくてもできる。理由は彫り師が医師法の適用除外と同様、伝統文化を担う仕事だからだ。

【絵の説明】
上・江戸時代初期の相撲。右の力士がたぶさ髷が解けた状態になっている(菱川師宣)
中2点・江戸時代中期の関取。上は谷風(大関)、下は小野川(関脇)。寛政時代(1790年頃)の人気力士で、谷風は月代、小野川は総髪に描かれている。(勝川春英)
下・幕末のペリー上陸の「力士力較」(横浜開港資料館、瓦版)

丘圭・著