江戸の床屋、風呂屋は、治安の要

髪結床と江戸の治安との関係について、「江戸の治安のいったんを担った髪結床」(http://www.kamiyui.net/?p=114)に書いた。

江戸の町は、幕府のお膝元であり、当然幕府の配下にあったが、商人ら住人による自治も広く行われていた。庶民を采配したのは南北の町奉行である。この町奉行に配属された武士は、南北それぞれ与力25騎、同心120人だった。この人数で、市中の巡回や犯人の探索・検挙、取り調べから裁判、さらに町会所の管理などの仕事をしていた。いまに例えるなら、都庁・警視庁・裁判所の仕事にあたる。

江戸の町人の人口は5、60万人程度、いまなら鹿児島市や船橋市の規模に相当する。これだけの人数を300人ほどの役人で対応していたことになる。とてもすべての役目をこなすことができる要員ではない。しかも建前は一代限りの役職なのだが、実際は世襲で、世襲となると役立たずも多くいた。
住人たちの自治・自警に頼らなければ、市中の治安の維持、行政の運営はできない。

「江戸の治安のいったんを担った髪結床」では髪結床に焦点を当てて紹介したが、髪結床に限らず、町内に住む人たちは皆、何がしかの役割を持って自治や防犯に参加していた、というのが正しいところだ。

防犯の面では、自身番、町ごとの木戸番、このほか町人ではないが武家屋敷には辻番があった。これらは後の交番につながった。
自身番は町奉行の町会所与力配下の町年寄、町名主によって采配されていた。木戸番は町名主配下の町火消の下に置かれていた。

市中の警邏や犯人の探索をするのは、隠密廻り同心、常町廻り同心、それに常町廻りを補佐する臨時廻り同心があたっていた。同心の下に武士ではない岡っ引き、さらにその配下の下っ引きがいた。

時代劇の小説やテレビドラマでは、同心や岡っ引きが切ったはったの大立ち回りをする捕物シーンが多く描かれているが、実際は与力や同心が出張ると犯人は観念して、大立ち回りは少なかった。町奉行の与力は刃をひいた刀を持って出張った、という。

犯人の検挙に関しては、町奉行とは別組織の、例の長谷川平蔵(鬼平犯科帳のモデル)で有名な火付盗賊改が活躍した。町奉行は民事部門の担当だったのに対し、火付盗賊改は軍事部門担当の番役の武士があたったので、こちらは切ったはった、あるいは拷問などを行った。
さらに、江戸後期になると広域犯罪が増えたのだろうか関八州を担当する、八州廻りが登場する。

以上が江戸の治安行政の概略だが、人が多く集まる職種は防犯や犯人探索の面で、その要として評価されていたようで、前述の岡っ引きには風呂屋の主人、食べ物屋の亭主、そして髪結床が多かった。
同心や岡っ引きが女風呂に潜んで隣の男風呂での会話を聴取した、というのは有名な話で、廻り同心や岡っ引きは銭湯代は無料だった。床屋賃に関しては史料が少なく断定はできないが、すべてではないにしろ無料で結ってもらっていたものと思われる。

ちなみに、武家は大銀杏を結うのを習わしとしていたが、廻り同心は町人風の小銀杏が多かったという。庶民に紛れて情報を収集したり、探索していたからだろう。粋な本多髷をした廻り同心がいてもおかしくない。

そして明治になって、理髪業、浴場業が警察(内務省警視局)の所管になったのは、江戸時代からの因縁によるものが大きい。

*参考文献/「江戸の犯罪白書」(重松一義)、「江戸のお白洲」(山本博文)、「江戸学講座」(同)

丘圭・著