徳川将軍の髪結

仏陀の弟子、ウーパリが師である仏陀の頭髪を整えたように、古来より貴人、支配者、権力者は身近な使用人に髻を結ってもらったり、髭を剃ってもらっていた。

飛鳥時代、中国から律令などの制度とともに冠位束帯の風俗が伝来すると、冠を固定するために冠下一髻といわれる髷を結った。これが後に男子の丁髷、さらに女子の結髪の元になるのだが、もともとは冠を留めるための土台だ。

冠下一髻は形状としては後の茶筅髷に近いが、結い方の強さ、髷の硬さが違う。冠の横から髪刺しを、一髻を通して固定する。髪刺しがしっかりと固定されないと、冠が安定しない。風が吹けばあおられてしまう。
しっかりと結うには、誰かにやってもらう必要がある。

平安時代には御髪番という役職がでてくる。天皇や貴族の髪を手当していたのだろう。
飛鳥時代の前はみずらというサイドに輪をつけてたたむ髪をしていた。これなら自分でもできそうだが、おそらく高貴な人は使用人にやってもらっていたのだろう。

江戸時代には、将軍の髪結に関する史料が残っている。
江戸時代、将軍の近くにいて、用務や身の回りの世話をしたのは、小姓と小納戸の奥向きの役職者になる。前者を御小姓衆、後者を御小納戸衆といった。将軍の身の回りの世話をしたのは御小納戸衆で、膳番、次番、手水番、庭番などの役目とともに髭を剃ったり、髪月代をする担当者もいた。湯殿で将軍の体を洗う御小納戸衆もいたし、三代将軍家光のころまでは、公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)という、携帯用便器を持つトイレ係までいた。

同じ小姓といっても小姓組は、将軍の身辺を守る番役(軍事部門)で、小姓組と書院番の両番がその任についた。番役にしろ奥向きにしろ、将軍の近辺にいることで、出世する機会に恵まれたため、これらの役職に就くことを願う旗本は多かったという。

江戸時代、使用人のいない、つまり偉くない人は誰に髪を結ってもらっていたか? 結婚していれば妻に、単身なら床屋に、が基本だ。嫁は亭主の月代、子供の髪も整えていた。しかし中には妻がいても床屋通いをする亭主もいたから例外もある。妻にやる気がないのか、夫婦仲が悪いのか、単に不器用だったのかはわからない。

丘圭・著