明治20年頃には98%が断髪

明治4年に断髪令が出されたあとも髷を結う男性が多くいたことは、再三書いた。その後、明治6年に明治天皇が断髪してから、断髪は普及していくのだが、その普及状況については「明治時代の風俗」(藤沢衛彦)の記載を引用している著作が多い。

それによると
明治13年頃には70%
明治15年頃には80%
明治16年頃には90%
明治20年頃には98%
とある。

著者の藤沢衛彦(フジサワ モリヒコ、1885~1967)は、大正・昭和期の民俗学者、児童文芸研究家で、明治大学教授として知られる。後年、日本児童文学者協会会長もつとめている。

「明治時代の風俗」のほかにも、「近代世相風俗誌集」も上梓(共著)し、この第二章「文明開化の種々相 」•第三節に「散髪の風」を書いている。女性の髪についても第三章「歐化時代」•第三節に「束髪の流行」の叙述がある。

「明治時代の風俗」「近代世相風俗誌集」ともに原本は手にしていないので、前述の断髪の普及率も孫引きになる。

この普及率、どういう資料、どういう調査で導き出したのかは分からない。
断髪は、まず兵隊・官吏、続いて商人に普及し、人口の大多数を占める農民への普及はなかなか進まなかった。調査の仕方、データの取り方によっては違った結果になる可能性がある。
現代の統計学にもとづいたデータではないかもしれないが、いわれてみれば、何となくではあるが納得できる数値である。

同じ風俗でも、足元や下肢、つまり下駄から靴へ、袴からズボンへの洋風化は早く進んだが、上半身の洋風化は遅れた、という。
和服に関しては、農村部では大正、昭和になっても洋装より主流だった地域が多い。

髪以外の風俗については、和・洋の使い分けができる。
仕事中は洋装で過ごし家に帰ったら和服に着替えて下駄を履く。そんな人は戦後もいた。靴の普及は早かったというが、下駄を履いて闊歩していた学生は戦後も多くいた。日本で一番最初に洋装に切り替えた、といわれる明治天皇后も夜具は和装の寝間着だった。

髪型は使い分けるという、わけにはいかない。だから、普及するスピードは遅かった。

丘圭・著