江戸文化を支えた女髪結

江戸時代、悪所といわれる盛り場があった。芝居小屋、遊郭が集まる地で、江戸新吉原、大阪新町、京島原に代表される。三都以外にも、人口が数千人いる町や、宿場町、港町には規模は小さいながら存在した。

この悪所が江戸時代の文化の一つの発信地だった。とくに服飾や髪形は悪所から広まる例が多い。歌舞伎役者の意匠を凝らした衣服や髪形が庶民らに影響を与えた。
悪所で役者や遊女の髪を結ったのが髪結だ。人気の歌舞伎役者はお抱えの髪結がいて、出し物の役に合わせて工夫を凝らした髪形を結った。

江戸では、山下金作という女形が上方から下ってきたとき、そのお付きの髪結に学んだ髪結が指導して女髪結が誕生したという説がある。山下金作は幕末まで続いた上方歌舞伎の名跡だという。

江戸の女髪結は、遊女に求められて人気の髪形を結った。遊女のほか、富裕な商家の女性たちの髪も結ったものと思われる。

なお当時、女性はたしなみとして自らの髪を結った。女子は10歳を超すと髪を結う稽古に励んだ、という。女性同士、髪を結いあったりもしたが、基本はセルフである。

悪所は、富の集まる場所でもある。何事にも贅を尽くした。そのため節約を求める幕府からたびたび取り締まりを受けた。また悪所の住人は、「制外者」として番役などの義務から解放された、幕府にとってはまったく役に立たない人たちだったことも、その背景にあるのだろう。

そんな悪所が江戸時代の文化情報の発信地であったことはまぎれもない。浮世絵や役者絵など絵画、草子など文学で数多く取り上げれているのをみればわかる。
江戸の文化を支え、その一翼を担ったのが、役者付きの髪結であり、女髪結だった。

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