仏国に渡った、日本人女性の髪型

仏国で1864年に撮影された女性
仏国で1864年に撮影された女性

「仏国に渡った、幕末の伊達男」と題して、第二回遣欧使節団で渡航した、男前の山内六三郎と、理髪師の乙骨亘(オツコツ ワタル)を紹介した。(http://www.kamiyui.net/?p=164

第二回遣欧使節団の一行は、34名とされ名簿が残されている。その中に女性の名はないが、仏国で撮影された写真に同行した日本女性の画像(1864年撮影)がある。

パリ郊外にあるフランス国立博物館に所蔵されていた第二回遣欧使節団の写真を整理していて発見されたもので、撮影者は、山内六三郎、乙骨亘を撮影したルイ・ルソーである。

同行した女性は2名とされ、ひとりは「すみ」といい当時17歳だったらしいが、ここに紹介した女性がその「すみ」かどうかは不明である。

江戸時代、女性の髪型というと、島田髷や勝山髷、また前期は兵庫髷など大ぶりで華やかな髪型をイメージするが、パリに残された写真の髪は小ぶりだ。

島田髷や勝山髷は、鬢差し、タボ差しなど補助具が必要で、たやすく結えるものではない。写真の髪は同行した二人の女性が相互になでつけてまとめ上げたのだろう。異国での写真撮影に臨み、精一杯装ったのだと思う。

江戸時代の女性は、自分の髪は自ら結った。結えるようになるために大変な稽古をした、と苦労話が伝わる。
庶民の女性は普段、髪を簡単にまとめ笄一本を刺して止めていたか、まとめた髪を布で包んでいたのだと思う。なぜなら、日々の生活に追われ忙しくしている女性が髪にそう時間をかけていられないからだ。実際、幕末に絵日記を残した「石城日記」(尾崎石城)をみると、まとめた髪に笄を刺した団子状の髪が多く登場する。

客商売などごく一部の女性を除き、女性は普段の、いわゆる「ケ」の場合は簡単な髪にしていて、特別な「ハレ」のときは差しなどの補助具を使い、大振りな髪を結った。裕福な女性は髪結に頼んだだろうが、多くの女性は、手先の器用な親戚に頼んで結ってもらっていた。

丘圭・著