ルイス・フロイスがみた月代

月代というと、剃刀で剃るのが当たり前と思われるでしょうが、当初は毛抜きで抜いていました。

月代は、源平のころよりあり、合戦に際に頭が蒸れて、のぼせるのを避けるために月代にしていましたが、当時は毛抜きが使われていました。
毛抜きで月代にするのは、時代が下った戦国時代も変わりません。

戦国時代に日本に訪れたルイス・フロイスが書いた冊子「ヨーロッパ文化と日本文化」に、「われわれの間では男たちは髪を刈っており、禿げ頭にされると侮辱されたと考える。日本人は毛抜きを用いて、自分で毛の残らないように、全部抜いてしまう。そのことは苦痛と涙をともなう」(第1章・7、岩波文庫)とあります。

その当時使われていた毛抜きは「けっしき」という木製のもので、毛を大量に抜くため、大きく作られていました。現在の毛抜きのイメージとは違います。
その「けっしき」で頭頂の毛を一気に抜くのだから、そうとう痛い。出血もありました。
江戸時代初期の「慶長見聞録」(三浦浄心)に「かうべより黒血流れて物すさまじかりし也」とあるのも頷けます。
武士の月代は、苦行だったに違いありません。しかし、戦場でのぼせて命を落とことを考えれば、我慢できたのでしょう。

では、いつごろから剃刀で月代にするようになったのでしょうか?
剃刀は、奈良時代に仏教の伝来ととともに仏具として入り、すでに僧侶らは使用していました。ですから源平の武士が使ってもおかしくないのですが、当時は月代にするのが稀だったためか、使われていません。

江戸時代初期に、一銭剃りといって、月代剃りを稼業とする職人が誕生しましたが、そのころから剃刀での月代剃りが普及したようです。これは、戦国時代後期になって、それまでの烏帽子などの冠り物を被る風習が廃れ、露頂が普及したこととも関係があります。

戦国時代後期には月代剃りを稼業とする職人が既にいたとしてのおかしくないと思われるのですが、いまのところそのような記録はありません。

毛抜きでの月代はセルフで行っていましたが、剃刀を使うとなると、セルフでは危険がともないます。こうして月代剃りを稼業とする職人が誕生しました。一銭剃りは、後の髪結床です。

余談ですが、剃刀による月代が普及したあとも、毛抜きで月代していた人たちがいます。江戸時代初期の不良集団である、かぶき者たちの一部は、毛抜きで大月代にしていました。我慢強さをアピールする自己顕示欲の現れかもしれません。

丘圭・著

お断り:今回からですます調で表記します