「世事見聞録」にみる、百姓の髪結事情

「世事見聞録」という、江戸後期の世相を批判した、かなり長文な書物が文化13年(1816年)に出版されています。
著者は武陽隠士とありますが、もちろん匿名です。旗本クラスか上士クラスの武家といわれています。

この時代、さまざまな出版物が刊行されていますが、この書はひたすら、いまの世を批判し、大権現様(徳川家康)の時代を懐かしんでいます。
「四民高下の差別もあって無きが如く、尊卑はただ貧と福とに定まり」(序文より)と嘆き、士農工商の世襲身分制度の復活を願うのです。

応仁の乱以降、世の中は戦乱が続きました。下克上の世で力のある者が治世者を追い落とし、ときに殺害したりしました。それは親兄弟でも同じでした。いってみれば究極の実力社会といえます。
天下統一を果たした徳川家康は、乱世から平和な世の中にするために、世襲制身分制度を社会の基本にしたのです。いってみれば、これは究極の規制社会といえそうです。

それから200年。確かに平和な社会が続いたのですが、競争のない社会は停滞し、また武士統治の基本である武力から、世の中は経済重点の社会に徐々に変質していきました。
百姓、町人から富裕層が生まれ、その奢侈な生活に悪態をつくのが、武陽隠士さんなのです。

「昔は、藁を以て髪を束ねしを元結を懸け、匂い入りの鬢油を付け、女は紅白粉を装い、鼈甲または銀の簪を差し、(中略)、あまつさえ髪結なるものに髪、月代を致せ、その風体百姓とも貧民とも見えず」と大いに憤慨しています。

この一文から、江戸後期の百姓の生活ぶりがうかがえます。もちろん貧しい百姓も多くいたのでしょうが、豪農や自営農は豊かな生活を送っていた様子がわかります。

江戸時代初期の江戸には一銭剃りといって、髪結を仕事にしている者がすでにいたのは知られてますが、後期になると農村部でも髪結が稼業していたのがわかります。

「昔は、藁を以て髪を束ねし」とあり、江戸時代初期の百姓は藁を使って髪を結んでいたようです。

丘圭・著