喪中は、月代、髭を剃らない

喪服といえば黒が決まりですが、江戸時代は白でした。平安時代、公家が黒服を着用したらしいですが、長い日本の歴史でみれば例外で基本は白でした。
明治30年、皇室の葬儀の際に欧米の習いに合わせて黒服にしました。しかし、庶民にまでは浸透しませんでした。

庶民が黒い喪服を着るようになるのは太平洋戦争あたりからといいます。葬儀が多発し白服では汚れが目立ったことも、黒服が普及する理由にあげられています。

江戸時代、喪に服している間は、月代を剃らず、髭も剃りませんでした。
服忌令によるものです。
江戸時代後期、井関隆子という旗本夫人が残した日記に、将軍職を家慶に譲り、大御所として隠居していた家斉の葬儀に際して、自分の息子、孫が服忌の間(21日間)、月代、髭を剃らずに、まるで別人のようになった、と書き残しています。

服忌は、死者との関係、死者の地位によって、期間も喪の服し方も違います。家斉のそばに仕えていた人は髻を落とし喪に服したと、彼女の日記にあります。

余談ですが、江戸時代、将軍の服忌が最長で、天皇よりも長かった。江戸時代の将軍家と天皇家の力関係がこんなところにも現れています。