本多髷の由来

本多髷は、種類の多い髷の一つです。
その由来は、本多平八郎忠勝(*)の家中から出たという説があります。

「当世風俗通」の本多髷八体
「当世風俗通」の本多髷八体

「雨窓閑話」に、本多家の家風を決める際、侍、足軽、中間にいたるまで、前七分後三分にし、紙小撚で根を結い、それを七つずつ巻くことにした、とあります。

侍の髷を見れば、おおよそどこの家中かわかったといいますから、おそらく髷を結う小者が決まっていて、同じような髷を結っていたのでしょう。その一つが本多家の髷でした。

武家の髷として、普通の髷でしたが、宝暦のころ(1750年代)、ぞべ本多と豆本多が登場しました。そのころ流行っていた辰松風、文金風の影響を受けたのだろうと、江馬務さんは推定しています(「日本結髪全史」昭和28年)。ぞべ本多は大月代、豆本多は小振りな髷が特徴の髷です。

さらに明和・安永のころ(1760年代から80年代)になると、いろいろな本多が派生します。安永2年の「当世風俗通」に本多髷八体として、古来本多、円髷本多、兄様本多、疫病本多、五分下げ本多、浪速(おおさか)本多、金魚本多、団七本多が紹介されています。
このほかにも銀杏本多、水髪本多、蓮懸本多などがあります。

本多髷は、本多家に由来すると紹介しましたが、江馬務さんや「近代風俗志」の喜田川守貞さんが「雨窓閑話」を引いていて、この説をとる研究者が多いようです。しかし、別の説を唱える人もいます。

明治期の三田村鳶魚さんは鳶魚江戸文庫で、古来本多を別にして、他の本多髷が、魚河岸で仕事をするいさみ肌の魚屋が多くしていたことに着目し、本小田原町の河岸の名前に由来すると主張しています。本小田原町から本田髷。実際、本田髷の表記も少ないながら見られます。

たしかに古来本多と宝暦以降の本多髷のイメージは格段に違います。古来本多は武家の髷であるのに対し、他の本多髷はいさみ肌の人や、金持ちの遊び人で自己顕示欲が強い「通」といわれる人が好んでしそうな髷です。

本多髷を描いた絵をみると、角度によっては判別しずらい絵もあるのですが、総じて髻が高くなっているようです。古来本多で髻を七巻きすることで、髻を高くした髷が本多髷の特徴かもしれません。

髻が高い髷が本多髷、そう定義づけると理解しやすいようです。愚昧な小生はそう考えるのですがいかがでしょう?

図(本多髷八体)の名称
上から、古来本多、円髷本多、兄様本多、疫病本多、五分下げ本多、浪速(おおさか)本多、金魚本多、団七本多

(*)本多平八郎忠勝。徳川譜代の家臣。2016年NHK大河ドラマ「真田丸」の真田幸村の兄である真田信之の正室・小松姫は本多忠勝の娘。本多家10代当主の忠盈(ただみつ)は、本多忠勝の直系ということで真田家から迎えられています。
大名家の系譜などは文書史料が多く残されていて、かなり詳細にその歴史がわかります。本多家もご多分に漏れずお家騒動があったり、当主が夭折したりとドラマがあります。その点、風俗、とくに髪型に関する史料は信頼するに足るものが少なく、推測の域をでない、というのが正直なところです。

丘圭・著