娼家の髪結事情

江戸時代後期に書かれた洒落本には多くの遊里が登場し、江戸中、遊郭だらけ、といった印象を受けてしまいます。吉原、深川、品川など規模の大きな遊里はもちろんのことですが、場末の娼家数軒といった規模の小さな遊里も多数あったようです。

洒落本ですからそのまま鵜呑みにはできませんが、遊里遊郭、岡場所が多数あったのは確かなようです。
洒落本から髪結にまつわる話を。

『郭中奇譚』(明和6年(1769)出板、著者不詳)は、芸者の会話で話を進める形式になっています。洒落本によくある形式です。

やそ:おとめさん今日の髪ゆうてもらいなさツたか
とめ:アイいそがしくて私がゆうた
やそ:よくできた
とめ:おやそさん、おまえアノきくのかんざしはどうしなさった
やそ:アレハお京さんと萩寺に行った時おとした
とめ:私も此ごろ湯屋で落とした。ホンニ伽羅の櫛に銀のふちとったのがきてあるが二両だとさ。お前買ふ気は無いか

『郭中奇譚』には各地の遊里がでますが、亀戸にある萩寺が登場しますので、深川か千住の遊郭で働く遊女の会話かもしれません。

この会話から、遊女は髪を自分で結うことも、他人に結ってもらうこともあったのがわかります。ただ結ってもらったのは専門職の女髪結だったのか、同じ娼家の同僚だったのかはこの会話だけではわかりません。

遅くとも1773年ころには娼家に女髪結が出入りしていましたが、女髪結が出入りするようになっても、セルフで髪を結う手先の器用な遊女はいたようです。

家中の女がお互い髪を結い合うのは、娼家に限らず、武家や商家、百姓家など古くからの習わしでした。
娼家の遊女は、20代後半ともなると年季明けになって娼家を出るのですが、手先が器用で髪結の上手な遊女は年季が明けても娼家にそのまま居残って、若い遊女の髪を結っていたかもしれません。十分に考えられることです。

このようなセミプロ級の女髪結がいたからこそ、「女髪結の誕生」で紹介した女形の髪結師の技が習得できたのではないかと思います。
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丘圭・著