燈籠鬢

江戸中期に流行った日本髪の一つに燈籠鬢があります。側頭部の髪(鬢)を大きく張り出した髪型で、鳥が翼を広げたようにも見えます。鬢さしを使って作るのですが、反対側が透けてみえることから、すき鬢ともいわれます。

灯籠鬢。髷は、さえだ島田(『当世かもじ雛形』より)

この燈籠鬢、後世の人のなかには下品だと決めつける人もいますが、特異ですが特徴ある髪型で、新鮮な印象を受けます。当時の人も、特異な新鮮さに魅力を感じて、この燈籠鬢にしたのだと思います。

燈籠鬢は宝歴年間(1751~1763)に京都・祇園新地の遊女がしたのが始まり、といいます。遊女の髪から一般に普及した、とされていますが、京坂では安永(1772~1780)には廃れました。

江戸中期までは、上方が文化の発祥地でした。江戸では、安永初めごろから流行し始め、寛政(1789~1800)のころ廃ったといいます。ざっと20年ほどのタイムラグはありますが、江戸中期の一時代を風靡したのが燈籠鬢といえます。

灯籠鬢が流行った証左として、『江戸結髪史』(金沢康隆)は『田舎芝居』(天明4年/1787刊)を引き、
‥江戸の姨子から貰った鬢差しをまぜもせず‥、、
また司馬江漢の『江漢西遊日記』を引き、
‥泊をする家もあり。樵婦も田婦も山中と云えども鬢さしを入れ髪を結ぶなり‥、、
をあげて、燈籠鬢がいかに流行ったかを伝えます。田舎の農婦から山里の女性まで、こぞって燈籠鬢にしたかの印象です。筆者の金沢康隆さんは、そう理解したのでしょう。

『江戸結髪史』に限らず、江戸時代の風俗を紹介した書籍は、日本髪の流行を日本国中で大流行したような記述が見られますが、実際は遊女や一部の富裕層の商家、富農の女性に限られていました。
日々、労働に明け暮れる農婦が長時間をかけて髪を結い、激しい農作業をするわけはありません。江戸時代、士農工商の農に属する農民を含めた百姓は、人口の約85%と大多数を占めています。
江戸の町でも、裏店に住む女性は灯籠鬢をはじめとする妖艶華美な髪とは無縁な生活を送っていました。武家の女性は、自前で結っていましたので、技巧が必要な髪はやはり無縁でした。
燈籠鬢をはじめとする妖艶華美な日本髪を結う女性は限られた存在と理解するのが妥当です。

前述の『江戸結髪史』が紹介した一文ですが
農婦は鬢さしの使い方を知らなかった、と読めますし、山中の宿で樵婦も田婦も燈籠鬢をしていた、というのは、これは樵婦も田婦も応急の娼婦あるいは酌婦として宿に上がった、と理解するのが、当時の実情に近いでしょう。

いづれにしても、江戸時代中期以降には装飾性の高い多彩な日本髪が登場しますが、それらの髪を結ったのは限られた女性たち、と理解するのが江戸時代の実態だと思います。

丘圭・著

【写真説明】灯籠鬢は、特徴的な形をしています。この灯籠鬢に、さまざまな髷やタボ、前髪を組み合わせることで、趣きの異なる日本髪が生まれます。この絵からは後頭部は不明ですが、絵の説明によるとタボは、源八タボと記載されています。