洋風化は足元から、でも例外も

幕末に活躍した坂本龍馬を写した写真に、和服、髷に靴姿のものがあります。幕末から明治初期にかけて男子の洋装化は、坂本龍馬に限らず足元から始まったようです。

靴を履いた坂本龍馬の写真

靴を履き、ズボンを着用するも、上は陣羽織姿の当時の写真が残されたいます。ズボンは江戸時代にはパッチなどをはいていたため抵抗が少なかったのかもしれません。

文久3年(1863年)の第二回遣欧使節団の写真を見ると、シャツの上に羽織を着けた使節団員の写真があります。シャツに羽織姿の団員も頭には髷が結われています。使節団を見た仏国の人々の目には奇異に映ったでしょう。

洋装化はゆっくりと進み、一番最後が頭でした。顔の印象を左右する頭を髷からザンギリにするのは抵抗があったのかもしれません。
当時日本に訪れたワーグマンやビゴーが残したイラストにも衣服や靴は洋装ながら頭は髷姿の日本男子が多く描かれています。

大半の日本男子の洋装化は足元から進行しましたが、全ての日本男子がそうかというと、そうでもありません。幕末、横浜居留地で異国の人々を警護した、横浜裁判所詰めの御用出役の役人は、異人にならって散髪していたことが『幕末百話』(篠田鉱造)に収録されています。

元・御用出役の役人に取材した話で、横浜開港当初のことといいます。開港が安政6年(1859年)なので、日本でザンギリ頭にした草分けの一団かもしれません。

御用出役の役人は異人1人に対し5人がつき、そのいでたちは、ぶっ裂き羽織、義経袴、黒羅紗笠、腰には大小を差していたといいます。そして頭はザンギリです。
御用出役の役人は頭からの洋装化でした。

風俗風習の変遷はさまざまです。一筋縄ではいきません。

余談ですが、御用出役はもちろん攘夷派の浪士から異人を守るのが仕事でしたが、江戸っ子は凶暴な異人から日本人を守るために、御用出役が異人を囲んでいたと思っていた、と元・御用出役の役人は語っています。どうも江戸っ子は、三田村鳶魚さんが描くように、底抜けにノーテンキだったようです。

丘圭・著