マティルド伯爵夫人が見た明治2年の日本は?

明治初期、日本を訪れた外国人女性は英国人のイザベラ・バードが知られています。明治11年(1878)に来日し、横浜から東京、新潟、東北を経て北海道に渡っています。その体験を『日本奥地紀行』にまとめています。

彼女が日本について叙述した最初の西洋人女性だと思われていましたが、彼女より10年ほど前、明治2年(1869)に日本を訪れ、紀行文やスケッチを残した女性がいたことが、昨日の読売新聞(2017年8月12日、朝刊)に掲載されています。

イタリア初代公使のビットリオ・サリエ・ド・ラ・トゥール伯爵のマティルド夫人がその人です。イタリア公使一行が日本の養蚕事業を視察するため、明治2年6月8日から28日にかけて、横浜から東京、埼玉、群馬を回って、八王子、橋本を経て横浜に戻った旅に同行しています。

その旅行の手稿、スケッチ39枚が、マティルド夫人の子孫によって保有されていることが判明し、その一部を読売新聞は紹介しています。

イザベラ・バードの叙述で明治11年の当時、田舎では髪結床が繁盛し、髷姿の男子が大半だったことがわかります。また日本髪を結うのに必要なかもじや小枕、簪、笄などを扱う商店の記述もあったりします。
マティルド夫人のスケッチ、旅行記は近く公開されるそうですが、女性の目からみた旅先の風俗の記述もありそうなので楽しみです。

髪結には関係ありませんが、イザベラ・バードの叙述をみると、日本奥地の山々は荒れていました。雨が降ると洪水になり、イザベラ・バード一行はたびたび難渋します。

江戸時代中期以降、日本の人口は3200万人程度を維持していました。日本の国土は、それだけの人口を支える食料生産力がありました。しかし、建築素材としての木材、また燃料としての木材に関しては、江戸時代後期にはすでに限界を超えていたようです。その結果、明治になって、山間部では洪水が頻発し、おそらく漁業も衰えていたと思われます。

北海道に行ったイザベラ・バードですが、明治11年の道南はアイヌが多く、当時はまだ北海道はアイヌの大地だったのが、彼女の紀行文からわかります。

イザベラ・バード女史は牧師の娘で自身も熱心なクリスチャンです。日本を訪れた目的はいくつかあるのでしょが、キリスト教の布教の可能性を探ることもあったと思われます。
彼女が下した日本人の宗教観は、無宗教、無神論者です。

日本人は気軽にキリスト教を礼拝し同胞の神父を喜ばすのですが、その足で寺院に詣り、道祖神を拝む。彼女が通訳として雇ったITO(伊藤?)がアイヌの神(拝火教に近い?)を拝むのを驚きを持って見ています。
なにしろ八百万の神を信仰する日本人は、1つや2つ神様が増えても平気ですが、クリスチャンの彼女は許せない。

日本人が無神論者なのを看破した彼女ですが、日本人が無宗教の未開人と違い行動規範が自国・英国や先進国より優れている面があるのを不思議がります。彼女はアイヌは未開人として捉え、日本人と対比しています。

読売新聞に紹介されたマティルド夫人の一文に、「アリ塚のような群衆は好奇心にかられ前方へ、恐怖心から後方へと揺れ動きました」(鴻巣での記述)とあります。イザベラ・バードも行く先々で大勢の群衆に囲まれました。彼女を見物するために、隣家の屋根に大勢の人が上がり、倒壊したエピソードも紹介されています。当時、外国人は珍しく、女性はなおさらです。

明治17年(1884)に日本を訪れた米国人のエリザ・シドモア女史の『シドモア日本紀行』に、見世物小屋に入ったシドモア一行に、見世物小屋の見物人はもちろん、出演者(?)まで一行を取り囲み見物された記述があります。

幕末から明治期の日本人は好奇心旺盛でした。
この好奇心が明治期の日本の繁栄の源泉だったかもしれません。

丘圭・著