炙った竹で作ったウエーブ

男性の髷、日本髪は日本人の直毛を前提にした髪型で、縮毛の女性が日本髪を結うのに大変難儀した話を以前、掲載しました。(「結髪に苦労した縮れ毛の女性」)

その一文で、『近世風俗志』(守貞謾稿、喜田川守貞)を引いて、「竹をあぶり、加熱して髪に当ててウエーブを出した」風俗を紹介しました。これが文献に残る日本での最古のウエーブかもしれません。

『近世風俗志』は、
「縮毛 江戸にてちぢれつけと云う。いつの頃にか縮毛流布し、生質縮毛なるは昔日とても稀なる故に、竹を炙りて髪に当つれば自づから縮むとなり。好色の輩等はこれをなして髪毛を縮めしと云えり。今は稀に縮毛なるを患とするなるに、かかる流布もありにしや」
と縮毛について紹介しています。

『近世風俗志』は江戸時代後期の書で、守貞さんが生きた江戸後期には縮毛は患(うれ)うものであったのがわかります。江戸時代中期以降には女子は島田、勝山、兵庫、笄などの日本髪、男子も月代に丁髷が定着し、これらは縮れ毛での処理が難しい。

いつ頃縮毛が流布したかというと、おそらく江戸時代初期の頃だと思われます。まだ戦国時代の威風が残っていて、勇ましい姿の一つとして縮毛にしたようです。守貞さんのいう好色の輩とは、江戸初期の傾奇(かぶき)者集団の一部を指すのだと思います。
傾奇者は、極端な大月代や長キセル、長太刀など異風を好んだといいます。戦国時代の武将に見られた縮毛をしてもおかしくありません。

加熱してウエーブを作る道具としては、パリのマルセル・グラトウという人が考案したマルセルアイロンが有名です。1872年(明治5年)頃の発明といいます。前述の焼け竹にウエーブはこれより200年ほど前です。
焼け竹にウエーブが世界最古かというとそんなことはありません。
紀元前3000年ころ、古代エジプトの貴婦人は湿った土を髪に塗って木の枝などに巻きつけ天日で乾かしてウエーブをつけた、という文献があります。

ところで、江戸時代後期になると、200年前ほど昔の江戸初期の風俗が既にあいまいです。守貞さん、『近世風俗志』で、いまの絵師が描いている衣服や髪型は実際とは違うこと、また歌舞伎で演じられる芝居の時代背景と衣装、髪型はまったくあっていないことなどを後世の人に警句として残しています。

ところが、21世紀のいま、やはり絵画史料や舞台の史料が風俗を検証するうえで有力な史料として扱われることが多い。他に史料が少ないからやむをえないことかもしれません。結局、江戸時代後期の200年前も、21世紀のいまから200年前の風俗はあいまいなのです。

今回は物理的な手法によるウエーブについて紹介しましたが、これは一度洗えばとれてしまいます。もっとも古(いにしえ)の人は毎日シャンプーする習慣はなく、めったに洗わなかったようですが。

ウエーブついでに、パーマネント・ウエーブの話を。
薬品によるパーマネントウエーブが日本に入ったのは、諸説あります。亜硫酸水素ナトリウムとアルカリ製剤を塗布し専用の加熱機で使いウエーブを作る、いわゆる電気パーマが日本に入ってきたのは関東大震災後の横浜という説と、1923年(大正12年)に神戸に入ってきたという説が有力です。
大正時代後期には日本に入っていたのは確かなようですが、いまから100年ほどまえのことが既にあいまいなのです。

丘圭・著