大月代

大月代(おおさかやき)は、月代を大きくとった形状のことです。当たり前です。
戦国時代になると、烏帽子を装着する風習が薄れ、露頂が普通になるとともに、徐々に月代が普及してきました。

坊主小兵衛(『芝居百人一首』より)

月代が普及したのには織田信長が剃刀で剃るよう命じたのも一つの要因とされています。それまでは、けつしきという道具を使い頭髪を抜いて月代していてことが多かったのですが、これは痛すぎます。
剃刀で月代するように命じた織田信長の茶筅髷の頭は、大月代の部類に入りそうです。

江戸時代前期の傾奇(かぶき)者集団を描いた絵画史料に大月代が見られますし、名の知れた人では、17世紀中ごろ活躍した、幡随院長兵衛配下の伊達男・唐犬権兵衛がいます。唐犬額といわれる月代は大月代の部類に入ります。

大月代にすると、鬢は矮小になります。糸鬢とか撥鬢といわれる鬢は大月代とセットです。撥鬢というのは当時、琉球王国から入ってきた三味線の撥に似ていることに由来します。
17世紀後期の延宝・天和のころの坊主小兵衛という役者を描いた『芝居百人一首』には糸鬢をした小兵衛が描かれています。これなどは大月代を通り越して、ほぼ坊主頭です。そこから坊主小兵衛の異名をとったのでしょう。

江戸時代前期は大月代に茶筅髷が多く見られるのですが、中期になると髷を二つ折りにした銀杏髷が普及してきます。中期に流行った辰松風、文金風、さらにそれに続く各種の本多風の髷の多くは大月代の部類です。前期の大月代とは違い、鬢の部分まで剃り込み、鬢の髪を髻に寄せて結っています。鬢深く剃り込んでいるので、毛の量は少なく、これらの髷は総じて細く小ぶりです。通の趣味人が好んでした髷といわれます。

江戸時代後期になると、大月代はあまりみられなくなり、太めの髷、つまり大月代ではない普通の月代をベースにした髷が主流になります。逆に講武所風といわれる月代を細くした髷が登場するなど、男髷も変化します。

大月代を駆け足で俯瞰しましたが、この大月代という名称は、江戸時代から存在していたわけではありません。
江馬務さんが『日本結髪全史』で、「私が命名した」と書いています。昭和になってからの命名ですが、言い得て妙です。
大月代に定義はありません。「月代を大きくとった形状」に尽きると思います。

丘圭・著