徳川将軍の御髷番

『お髷番承り候』(上田秀人・著、徳間書店)という時代小説があります。2010年初版、描き下ろしの文庫本です。時代設定は、徳川第4代将軍・家綱(慶安4年1651~貞亨2年1685)のころです。徳川幕府の骨格が整い、安定しはじめたころのお話です。

主人公は、深室賢二郎という、脇差し(小刀)使いの達人の旗本です。深室賢二郎、将軍が幼少の頃の遊び相手だったことから、御小納戸衆に抜擢されます。御小納戸衆というのは、将軍に近侍し身の回りの世話をするのが仕事で、深室は髪月代係に大抜擢されます。

小説の設定としては面白い。なにしろ将軍の近くに仕え、耳元で言葉交わせるから、秘事にも通じることができます。御小納戸衆でも将軍の身体に直に触れることができるのは衣紋係や髪月代係など限られています。御典医でも手で脈をとるのを遠慮した時代、将軍の頭に剃刀を当てるというのは、よほど信頼されていなければ任せられません。

深室賢二郎、髪月代係に抜擢されてから、腕のいい床屋の親方に10日間ほど仕事を習い、殿中・御座の間に登ります。仕事を習うといっても大根の毛を剃る程度なのですが、そこは剣の達人、剃刀使いもスーパーマンなのです。

実際の髪月代係はどのようにして仕事を覚えたのでしょうか? それを記述した史料は見当たらないのですが、おそらく月代剃り、髷結いに長けた小録の御家人が、旗本の髪月代係に稽古をつけたのでしょう。
江戸時代は身分社会です。いくら月代剃り・髷結いがうまくても低い身分の者が直接、将軍に接することはできません。髪月代係は、月代剃り・髷結いの技が上達してはじめて将軍の頭に接したのだと思います。

そして、旗本に月代剃り・髪結いを指南する御家人は代々、月代剃り・髪結いの指南方として、幕府から録を受けていたものと思います。

以上が小生推論の一つです。
もう一つは、先輩の髪月代係から指南を受ける、というものです。将軍の月代剃り・髪結いに慣れた先輩の髪月代係から指南を受け、上達したら新人にバトンタッチします。このパターンは石高の少ない大名や小名なら、こちらのほうが普通かもしれません。はたして将軍は?

小説では、将軍の頭に古い切り傷があることになっています。実際髪月代係といえども人の子です。いくら腕が上がったとはいえ、時には頭を傷つけることがあったかもしれません。そんなとき、許されたのか、あるいは罰せられたのか、あるいは責任をとって切腹したのか? 残念ながら史料を知りません。

小説では、「御髷番」との役職名にしていますが、文中で「俗に言う」と但し書きがつけられています。国史の官職を集めた『官職要解』には「御髷番」という役職は出てきません。御小納戸衆の一つの役目として髪月代係はあります。
「御髷番」という言葉、髪月代係よりは雰囲気があるので、実際に使われていないかと川柳とかを探してみたのですが、いまのところ発見できません。

『お髷番承り候』では、将軍の私的な居室である御座の間での深室賢二郎の仕事ぶりが活写されていますが、何より死闘を繰り広げる剣豪活劇の表現がうまい時代小説です。

丘圭・著

*『お髷番承り候』(一)「潜謀の影」より