文七元結は絶滅間近か?

元結のことを江戸っ子は「もっとい」と発音します。元結として使う素材としては、麻紐や貧しい農民は藁を使っていましたが、なんといっても文七元結が有名です。

宝永4年(1707)刊の俳諧集『類柑子』(宝井其角)に、文七元結という言葉が見えます。
文七に踏まるな庭のかたつぶり
など数句あります。17世紀後期には江戸市中に出回っていたようです。
「茅場町の住居の隣なる閑地(あきち)にて、車をしかけてもとゆいをこくこと」と『類柑子』は紹介しています。

紙を撚って(こいて)作る元結は、寛文(1661~1671)のころにはあった、と『本朝世事談綺』(亨保19年、1734)にあります。『本朝世事談綺』によると、「紙捻を長くよりて水にひたし、車にてよりをかけて水をしごく故、しごき元結なり。また文七元結というあり。至て白く艶ある紙なればこの紙にて製するを上品とす」とあります。
こき元結のなかでも白くて上質なものを文七元結といったのがわかります。

この文七元結、文七さんという人が初めて製造してその名がついたのかと思ったのですが、実は紙の名が文七ということに由来するらしい。北陸で生産される紙という説があります。
その紙を用いて江戸でも文七元結を作っていたのが前述の俳句からもわかります。

文七元結の生産地としては長野県の飯田市が知られています。市の史料によると17世紀には製造していたといいます。
21世紀のいまでも飯田市では元結をはじめ水引などの伝統的な紙製品が特産品です。けれども元結が作れる職人は2017年現在、80代の二人だけとのことです。

現役の髪結さんは、元結は近年高騰し、それでも将来はなくなる恐れがあるので買いだめをしている、といっています。上質の文七元結がなくなれば相撲の床山さんも困るし、力士の髷を結うのにも支障をきたすかもしれません。

丘圭・著

参考文献:『嬉遊笑覧』