2代目 山下金作という女形

女形(おやま)の2代目山下金作といえば日本髪の世界では、金作付きの髪結師が深川の遊女の髪を結ったことから、江戸での女髪結の発祥のもととなったことで知られています。

写楽描く2代目山下金作。上・仲居ゑびぞうおかね(実は貞任女房岩手、間判)、下・ 同(細判)

金作付きの髪結師が甚吉にその技を教え、甚吉が女髪結を指導して広まった、とされていますが、残念ながら金作付きの髪結師の名は伝わっていません。

2代目山下金作は、上方の役者で、当代屈指の名女形として歌舞伎界では高く評価されています。何度か江戸に下って舞台に立ってます。
最初は、宝曆2年(1752に下り6年間ほど在京し宝暦8年(1758)帰坂しています。2回目は、明和3年(1766)東下し同5年(1768)帰坂。3回目は、翌年の同6年(1769)東下し11年間江戸に滞まり安永9年(1780)帰坂。4回目は、寛政6年(1794)冬に東下し同8年(1796)に帰坂しています。

何回目の東下が女髪結の発祥につながったかは、『嬉遊笑覧』に「女髪結は、安永7年ごろ、江戸深川茶屋むきて、上方風の髪ゆう女ありしが、その後所々に女かみゆい出来れり、、」とあります。また山東京山の『蜘蛛の糸巻』にも同様の記述があります。このことから、3回目の東下のときと判断できます。

2代目山下金作さん、名優だけあって、あの写楽の役者絵にも描かれています。4回目の東下のときで、すでに老境に入っています。この山下金作の役者絵が、謎多い写楽の人物特定の推論に登場します。

写楽は、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者、斎藤十郎兵衛とする説が有力なのですが、諸説あります。
写楽は、多数の役者絵を描いています。山下金作のほか、中村野塩(2代目)、片岡仁左衛門(7代目)ら上方の役者を描いていて、当時上方の絵師として活躍していた耳鳥斎、流光斎を写楽とする説があります。写楽と共通する筆致や、上方でなければ役者の詳細な特徴はつかめない、として仮設を立てています。

それにしても歌舞伎界、浮世絵界の史料は多く残っていて、研究がすすんでいます。
浮世絵は役者絵と美人絵が主要テーマになっていますが、そこに多く描かれる日本髪、髷については、いまひとつといったところです。

ただ、浮世絵など絵画表現、とくに浮世絵はデフォルメされて描かれることが多く、実際の形状とは異なる場合が多いので、注意が必要です。
写楽をリアリティを追求した稀有な天才画家と評する研究者もいますが、個人的にはデフォルメの天才のように思います。いづれにしても東洲斎写楽は、浮世絵界で異彩を放った天才絵師であることには間違いありません。

2代目山下金作
寛政11年没、71歳。
屋号は天王寺屋。
紋は「笹りんどう」。
山下金作は明治まで続いた名跡という。

丘圭・著