髪結床の料金、再び

前回、女性が旅をするとき、関所で髪を解かれることを書きました(http://www.kamiyui.net/?p=400)が、男が旅をするときの月代剃りや髪結はどうしていたかというと、その一例として、『江戸庶民の旅』(金森敦子、平凡社新書)に、旅籠に髪結を呼んで月代・髪結をしてもらったことが紹介されています。

天保13年(1842)、越後柏崎に宿泊した旅人が支払った髪結賃は通常なら16文のところ24文払った、と記載されています。『江戸庶民の旅』では多く出典が記載されているのですが、残念ながらこの一文の出典は明記されていません。ですが、この『江戸庶民の旅』はアカデミックな内容で十分信頼できる書籍です。この旅人はおそらく北国街道の関川の関所を超えたのだと思われます。

男性が旅する場合、簡単な髪結道具は持参していたことが『江戸庶民の旅』にも紹介されています。夫婦旅なら奥方が、何人かの男が連れ立った旅なら相互に月代・髪結をしたものと思われます。また街道の辻には床を張った髪結が営業していて、旅人はそこでも頭を当たってもらったと思われます。そして、旅籠に床屋を呼ぶこともあったでしょう。

なにしろ月代は2、3日すると髪が伸びて見苦しくなります。月代剃りは現在の髭剃り同様、面倒な習慣といえます。

ところで、よくある江戸時代のガイドブックの多くは、髪結賃を24文、あるいは28文と紹介しています。しかし、前述の柏崎のように16文だったりと、地域、年代によって違います。24文、28文というのは幕府直轄の江戸の場合であって、ところ違えば髪結賃も違います。江戸でも流行の髷を結う売れっ子髪結床は64文、100文と高額の料金をとっていたという史料もあります

髪結賃は公定で、支配層の武士は公定料金で済ませていましたが、髪結賃が安すぎることを承知していた庶民は心付けを渡しています。
川渡しの渡船と同様です。武士は無賃で乗船できましたが庶民は渡船賃を払っていました。ですが、江戸後期になると、無賃の武士は満席になると、下船させられることがしばしばあったようです。

江戸時代、支配していたのは武士でしたが、経済活動の面では庶民が勝っていた諸相は多々見られます。

丘圭・著