髪結床の大のれん

髪結床には、店を構えて仕事をする床屋と、店を持たない廻り床屋があります。店の構え方によって、内床と出床に分かれます。町内に家を借りて営業する内床と、橋の脇の火除け地や広小路などに簡単なしつらえですぐに撤去できるように造作した出床です。

内床の店構えは、江戸の場合、九尺(約2.73メートル)から二間(約3.6メートル)程度の間口です。入り口には腰高の油障子がはめられ、その障子には屋号を表す絵が描かれていました。江戸では、海老、奴、達磨の絵の髪結床が多く、海老床とか奴床とか呼ばれています。

夏場になると障子に代わって、大のれんを掛ける髪結床があります。夏の暑い日差しを避けるためのもので、大のれんは贔屓筋からの贈り物が多い。
文化10年(1813)大坂の歌舞伎役者・中村歌右衛門が江戸に下った折、芝居小屋近所の八町の髪結床に自分の屋号を染めた大のれんを贈ったのがはじまり、といわれています。(諸説あり。文化文政のころの随筆『我衣』(加藤曳尾庵)では別の説を紹介しています)

21世紀のいま、のれんは飲食店でよくみかけます。営業中の合図の役割をしていますが、江戸時代は客が食べものをつまんだ指先をのれんで拭って出ていったそうで、のれんが汚れ具合で店の繁盛ぶりがわかりました。
大のれんといっても、いまの理美容店でのれんを下げている店はめったにありません。

大のれん、日よけのほかに、広告の役割もあったようで、前述の歌舞伎役者は自分の宣伝に使ったようです。

丘圭・著