出雲の阿国

出雲の阿国については、高校で使う多くの日本史の教科書に紹介されていますが、記述はとても簡単なものです。
‥‥17世紀の初め慶長年間に出雲の阿国という女性が京都にあらわれ、男装して刀をさすというかわった姿の踊りなどを始めた。この踊りはかぶき踊り(阿国歌舞伎)といわれて人気を集め、これから女歌舞伎がさかんになった。(山川出版社)‥‥
といった内容です。

かぶき踊り

この出雲の阿国といわれた女性、後の江戸時代の風俗に大きな影響を与えた人物です。女歌舞伎、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎へと続く歌舞伎の元祖ともいえますし、女歌舞伎は傾城屋で行われた遊女歌舞伎につながり、つまり遊郭、遊女の元祖ともいえます。歌舞伎などが行われた芝居小屋も遊郭も、いわゆる悪所といわれる場所ですが、ファッション、髪型の流行の発信源でもあり、庶民にとっては、ある意味憧れの存在でした。
江戸時代に普及した各種の草子など出版物や浮世絵で盛んに取り上げられているのをみれば、いかに庶民から注目されていたかわかります。

この悪所と髪結との関係は、浅からぬものがあります。女髪結は、上方では歌舞伎で使用するかつら師の女房が旦那の仕事を見よう見まねで覚えたことにはじまるし、江戸では歌舞伎の女形付きの床山が深川遊女の髪を結ったことからはじまる、とされています。
歌舞伎の髪型、遊女の髪型は、常に新しいものに変化し続け、それをまねる地女(一般の女性)が多くいました。悪所の髪型は、最先端の髪型であり、その髪型の普及を支えたのが髪結といえます。
阿国と髪結、間接的ですが、関係があるのです。

その阿国については史料が少なく、確かなことは不明です。
慶長8年(1603)、京都・北野神社境内での阿国歌舞伎が評判になって、かぶき踊りが流行った、といわれています。
掲載した絵(歌舞伎図巻、徳川美術館)は、かぶき踊りを描いたもので、阿国とする説もありますが、確かなことはわかりません。男装姿で、長刀に十字架を下げて、派手な姿で登場しています。

この絵に描かれた髷は、男髷です。毛量が多く豊かな大ぶりの髷になっています。
女歌舞伎は寛永6年(1629)禁止され、かぶき踊りの踊り子の多くは遊女になります。
絵の髷、のちの島田髷に似ています。島田髷は島田宿の遊女を起源とする説がありますが、有力な説といえます。

丘圭・著

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