名古屋山三郎と阿国

前回、出雲の阿国の詳細は不明なことを紹介しましたが、名古屋山三郎(さんざぶろう)と阿国が夫婦もしくは愛人だったとする俗説があります。阿国が男装し、山三郎が女装して演舞したというのです。

阿国と違い、名古屋山三郎に関する史実は残されていています。
秀吉の近臣、蒲生氏郷に仕えた小姓で、奥州仕置(天正18年、1590)の際、一番槍の手柄をたてた武勇が伝わる一方、当代一の美男子としても知られ、その美男ぶりが小唄に歌われています。

氏郷の没後、美作(みまさか、岡山県津山市)の森家に仕えましたが、慶長8年(1603)、同僚に殺害され、生涯を終えています。
山三郎は、美男子で伊達男、しかも遊芸にも通じ、江戸時代初期に現れる「かぶき者」の理想とされる人物でした。かぶき者の祖といえるかもしれません。

前回、紹介した歌舞伎図巻に描かれた女かぶきには十字架が描かれていますが、山三郎はキリシタンだった可能性があります。仕えた蒲生氏郷は、キリシタン大名として知られる高山右近とならぶ熱心なキリシタン大名でした。小姓だった山三郎がキリスト教に帰依していた可能性は十分考えられます。

戦国時代末期、熱心に慈善事業を行うキリスト教に帰依する人は多く、とくに卑賤視されていた芸能者を含む下層民の多くが入信してといいます。盲目の琵琶法師・ロレンソ了西らが熱心に布教活動を行い、入信する女芸能者も少なくありませんでした。

阿国については不明な点があ多いのですが、いまの研究では奈良の声聞師の配下にあったアルキ巫女の一人ではないかとの説が有力視されています。全国を流浪しながら舞や踊りを披露していた芸能者です。

阿国と名古屋山三郎の夫婦説・愛人説は、かぶき者としての共通点、そしてキリスト教の接点から想像された俗説といえます。全国をさすらう阿国と名古屋山三郎、どこかですれ違ったかもしれませんが、二人が夫婦というのは考えられません。

丘圭・著