髪結賃は、時代と土地で違う

よくある江戸のガイド本に、髪結の料金は28文、もしくは24文と紹介されています。江戸市中の髪結賃としては間違っていませんが、時代によって変化しています。

江戸時代も後期の文化年間には32文に上がりしますし、天保の改革で床屋株が解散させられ新床が増えると24文、20文と下がりします。

これが幕末のころにはインフレが進み48文、56文と高騰するのは他の諸物価と同様です。
髪結床のもとになる一銭剃りが登場たのは月代の風習が広がりはじめた桃山時代といわれています。上方に登場し江戸では17世紀はじめごろになります。髻を結っただけの茶筅髷なので、料金も安かったようです。

髪結賃に限らず4文刻みの料金が目立つのは明和5年(1768)に発行された4文銭(通称、波銭)以降です。当時はすでに丁髷を結うようになっていて24文が髪結賃でした。
また江戸中期には、自宅で営業する内床、道の辻や橋際などで営業する出床、道具類一式を持参して得意先を訪れる廻り髪結の3つの営業形態があり、髪結賃も違います。

江戸の髪結賃はざっくりと28文ですが、これは江戸の話であって、同じ幕府直轄地の佐渡では16文でした。
江戸時代は、徳川幕府が治めてましたが、藩という半独立国家では広く自治が行われていた連合国家の一面があります。髪結賃は徳川家直轄の幕領でも違います。まして、譜代、外様の藩ではまた違った髪結賃だったと考えるのが妥当でしょう。

丘圭・著