「美艶仙女香」の坂本屋

美艶仙女香は、京橋南伝馬町三丁目南側・稲荷新道の坂本屋が販売していました。この坂本屋、絵草紙の検査役を任されていたという説があります。多くの絵草紙に仙女香の名称が露出しているからです。これだけ露出するには、金銭を払っての宣伝とは考えにくいからです。

江戸後期、歌舞伎役者に混じって式亭三馬や山東京伝らの戯作者も化粧品の見世を持ち独自の商品を販売していました。化粧品の見世を兼業する戯作者が自らの著作に仙女香の宣伝を入れています。競争相手の商品をわざわざ宣伝することはちょっと考えられません。

式亭三馬の『浮世床』(三編)の文中に
「南伝馬町三丁目の稲荷新道で仙女香ときくと、じきに知れやす。稲荷様の東隣さ」と坂本屋の所在地をいわせてます。

板元はもとより、戯作者も検査役のご機嫌を伺い、媚びへつらったというわけです。「坂本屋=検査役」説、史料がないので俗説とされていますが、仙女香の露出頻度などをみると、俗説とは言いきれないように思います。

この坂本屋、仙女香のほか美玄香という白髪染めも販売するなど手広く商いをしていました。しかし、慶応になって洋傘が入ると、蝙蝠傘に商機をみたのか、傘店に商売変えしてしまいます。化粧品と洋傘を同時に扱っていたとする解説本もありますが、当時の宣伝広告を見る限り、洋傘店です。屋号として江戸時代から親しんだ仙女香を表記していたように思います。

この洋傘店も明治の後期には消えてしまい、その後の坂本氏の消息はわかりません。
宣伝上手な坂本屋、化粧品一筋で文明開化後も商売していれば、もしかしたら資生堂を凌ぐ会社に成長したかも知れません。

丘圭・著