もう一つの「西洋理髪事始め」

「西洋理髪事始め」は、明治2年(1869)に横浜・山下居留地148番地に開業した小倉虎吉さんといわれています。これは正しくは「日本人による西洋理髪事始め」です。

「俚俗支那屋敷(りようしなやしき)に散髪床を開いた」とされています。「俚俗」(りよう)とは、理容ではなく、田舎、さびれている、という意味で、さびれた場所に理髪店を開いた、ということです。
いまの横浜中華街、「同發本館」が建つところです。横浜中華街は、もともとは干潟を埋め立てた水田を造成したところで、西洋人の使用人として来日した清国人が主に居住していました。その外れで営業をはじめたのが、日本人による「西洋理髪事始め」になります。

これより前に西洋人による西洋理髪店が横浜にありました。
万延元年(1860年)に外国人向けに営業をはじめた「ヨコハマホテル」内の理髪店です。
H.P.ファーガスンさんという国籍は不明ですが、ヨーロッパから来日した熟練の理容師が開業したといいます。

万延元年といえば桜田門外の変が起こり、日米修好通商条約(安政5年/1858)にもとづき横浜が開港した翌年です。その年の2月にオランダ人のフフナーゲル(Huffnagel)さんが「ヨコハマホテル」を開業しました。

「ヨコハマホテル」は日本最古のホテル(諸説あります)といわれ、山下居留地70番地にありました。いまの洋菓子店「かをり」があるところです(*)。「ヨコハマホテル」にはフランス人シェフによるレストランやバー、ビリヤード、ボーリングなどの施設を備えていて、いくつかの事始めの発祥の地になっています。ファーガスンさんの理髪店もホテル開業と同時に営業をはじめたものと思われます。

しかし、翌年の文久元年に「ヨコハマホテル」からほど近い山下居留地51番地に移転します。ホテル内の理髪室が手狭だったためらしい。客はホテルの宿泊客はじめ外国人居留地の西洋人を相手にしていました。

ファーガスンさんの理髪店に遅れること4年、元治元年(1864)6月に、ユージエールさんという人が横浜で理髪店を開業しています。この人は、香港の「パリジャン・サロン」という理髪店で働いていた理髪師です(開業地、国籍は不詳)。

「ヨコハマホテル」は文久3年(1863)にいったん閉鎖され、翌年再開されます。再オープンのときには理髪室が復活します。その復活した理髪室でファーガスンさんが再営業したのかは不明です。もしかしたら、前述のユージエールさんが営業したのかもしれません。

「日本人による西洋理髪事始め」の前に、「西洋人による西洋理髪事始め」があったというお話しでした。

余談ですが、「ヨコハマホテル」を日本最古のホテルと紹介しましたが、日本での「本格的」なホテルは慶応4年(1868)に築地居留地に建てられた「築地ホテル館」という説があります。「ヨコハマホテル」は本格的なホテルではなかった?
また、日本人による最初のホテルとしても「築地ホテル館」が登場します。清水喜助さんという日本人が建築、経営も行ったといいます。清水喜助さん、清水建設の2代目だそうで、以上は清水建設の社史によります。

(*)「ヨコハマホテル」の所在は、『御開港横浜大絵図. 2編』(文久2年/1862、橋本玉蘭斎 図)中の「オランダ五番 ナツシヨウ ホイス」とある位置になります。同所に洋菓子店「かをり」が建っています

参考 http://www.kamiyui.net/?p=85

丘圭・著

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