明治時代に外国人女性が見た日本髪<シドモア>

明治時代に日本を訪れ、紀行文を残した外国人女性が何人かいる。
西南戦争が終結した翌年の明治11年に日本を訪れた英国人女性のイザベラ・バードが有名だが、明治17年に来日した米国人女性、エリザ・シドモアも「日本紀行」を残している。
彼女らは日本の風景や当時の社会、風俗を見たまま感じたままに記している。その中に日本人女性の髪形について記述した文章がわずかではあるが残されている。
今回はシドモアの「日本紀行」より。

日本橋の「越後屋」「大丸」の店内外の風景描写に続いて、「畳には美しく日本髪を結い上げた女性客が何組も座っています」とある。明治の中頃、日本髪が広く結われていたのがわかる。
日本髪というと江戸時代のイメージが強いが、プロの髪結い職の女性が活躍したのは明治になってからである。江戸時代後期にも髪結い職はいたが、主に遊女の髪を結っていたことから、御法度の職業だった。それが明治になって、一般女性もプロの髪結いに結ってもらうようになった。

髪結い職は得意先に出向いて髪結いをしたようだ。というのは、髪結いの店に関する記述がいまのところ見当たらない。男性相手の西洋理髪所、また理髪所に付随した女性部(居留地でお主に外国人女性に施術していた)、さらに明治後期には、日本髪とは異なる束髪髪結いの店は散見されるのだが、日本髪の店は見当たらない。
日本髪の髪結い職は、江戸の時代も明治の時代も、店を構えない廻り髪結いで仕事をしていたようだ。

「日本紀行」には男性の髷についての記載もあり、東京の人力車の車夫はみな髷を結っていた、とある。明治になって文明開花の象徴として断髪が励行されたが、丁髷を捨てきれない男性は少なくなかった。

江戸と明治は時代の画期で、政治や教育、軍政、医療などは大転換したのだが、こと髪形風俗に関しては江戸と明治は陸続きの連続した時代であった。
余談だが、今回のシドモアの文章でも、バードの文章でも好奇心旺盛な日本人が描かれている。当時、珍しかった西洋人の女性を見に多くの人が押しかけたことが記述されている。シドモアさんが見世物小屋に入ったら、観客も出演者もシドモアさんの回りに集まってきたて、見世物になってしまったことや、バードさんも行く先々で大勢の人に囲まれ、宿泊先の隣家の屋根の大勢の人が登って覗き込むのはいいが、人の重さで屋根が落ちた話などが記されている。

女性が描いた日本としては、昭和期になって日本を一度も訪れたことなく「菊と刀」を著したルース・ベネディクトが有名だが、前述のシドモア、バードも鋭い目で日本人を観察している。ルース・ベネディクトの文化人類学の見地は違った、日本観察として面白く読める。
ちなみに今回紹介したシドモアは、ポトマック河畔に日本の桜を植樹することに力を注いだ日本大好き女性でもある。

丘圭・著