いまのカット理論に通じる日本髪

日本髪は、前髪、髻、タボ(ツト)、鬢で構成されています。いまのカット理論と通じるものがあります。

頭部をフロント、サイド、トップ、バック、ネープに分けてデザインするのがいまのカット理論ですが、バックとネープを一緒にしてタボ(ツト)としているのが日本髪です。頭部をセクションに分けることで多様なデザインが生まれます。

日本髪は、地域によって、あるいは時代によって同じ髪型でも違う名称で呼ばれることがあります。一説には300を超える髪型が存在するといわれますが、実際には名寄せならぬデザイン寄せをすれば、そんなには多くはありません。それにしても100を軽く超える髪型がありそうです。

それだけ多くの髪型が誕生したのには、前述の、前髪、髻、タボ(ツト)、鬢で頭部を構成し、それぞれの部位ごとに違うデザインを行い、それを組み合わせるからです。しかも各部位はかなり自由に変化させています。

いまのカット理論、ヘアデザインも同様です。フロント、サイド、トップ、バック、ネープのセクションの独立性をふまえつつも、かなり自由に変化させることで多様なヘアデザインを創作しています。

明治の後期、二〇三高地という廂髪の一種の新日本髪が登場しました。利便性、経済性などを目的にしておこった新日本髪の一つの髪型ですが、髻はあるものの周囲はかもじをいれて丸く膨らませた髪型です。この髪型、利便性があり、しかも一部の女性に根強い人気があり、戦後もこの髪型をする女性がいました。

この髪型は、髻をのぞいて、前髪、タボ(ツト)、鬢が一体になっています。その結果、変化は限定されます。廂を大きくするぐらいしかありません。昭和59年ごろ活躍した塩沢ときさんの庇髪がいい例です。

男子の丁髷は、丁髷、月代、鬢・タボで構成されていますが、鬢とタボは一体になっています。男子の丁髷は、女性の日本髪ほど多くのデザインが誕生しません。
丁髷の太さ・長さ・曲げ具合、月代は細く・大きく、タボはひっつめるか、たるみを持たせるか程度です。

維新後、明治20年ごろまでに男子の大半は、ザンギリ、断髪になります。西洋理髪は基本的に連続したカットラインで髪型を構成します。セクションごとに独立したカット、デザインをする概念はありません。その結果、男性のヘアデザインは髪の長短、刈上げの有無など限定的なものになります。
いまの男性の髪型の多くは基本的には、この連続したカットラインで構成されています。

この西洋理髪の考えに一石を投じたのは昭和50年代後半ごろ登場したツーブロックカットやディスコネクトカットという非連続のカットラインで創るヘアスタイルです。女性ほどではないにしろ男性の髪型も多様化しています。

丘圭・著

参考
http://www.kamiyui.net/?p=481