ヘアクリッパーの歴史

道具類の進歩が理美容の技術に変化をもたらすことがあります。
マルセルアイロン、パーマネント、コールドパーマネントの進歩がウエーブヘアに影響を与えたように、ヘアクリッパーは短髪のカット技術に影響を与えました。

日本ではバリカンの名称で親しまれていますが、この語源はヘアクリッパーを製造した仏国のバリカン・エ・マール製作所(Bariquand et Marre)によるもです。

日本では明治16年(1883)在仏日本公使館書記官の長田桂太郎さんがヘアクリッパーを持ち帰り、理髪師の鳥海定吉さんがこれを使用したのが始まりとされています。

ヘアクリッパーそのものは、19世紀中ごろニコラ・ビズミックさん(セルビア人)が原理を考案し、米国人のヘンリー・リーランドさんが製品化した、といわれています。ヘンリー・リーランドさん、自動車会社のリンカーン社やキャデラック社を創業した人です。

明治19年にはバリカン社製のヘアクリッパーが輸入されはじめます。翌明治20年(1887)にはバリカンによる丸刈りが理髪店で行われるようになり、ヘアクリッパーが理髪店に普及したのが伺えます。明治23年には国産のヘアクリッパーが中村友次郎さんによって開発、販売されています。

ヘアクリッパーは鋏に比べると操作が単純、簡単なので、一般の家庭用としても普及しました。明治27年には陸軍省が300個購入してます。兵隊を丸刈りにして、衛生的な環境を保つのに一役買ったものと思われます。
広く普及したヘアクリッパーですが、操作が簡単とはいえ、そこは素人、刈り残しがライン状になったりします。そこから「トラ刈り」なる言葉が誕生したのかもしれません。

大正8年(1919)になると磁気動力を使った電動ヘアクリッパーが発明されます。発明したのは米国のリオ・J・ウォールさんです。高校2年生のときなので、ウォール君のほうがふさわしかもしれません。ヘアクリッパーの国際的なブランド、ウォール・クリッパー・コーポレーションを起こした少年起業家でもあります。

日本では戦前までは手バリと呼ぶ、手動式の片手ヘアクリッパーが主流で、電動式のヘアクリッパーが普及するのは戦後になってからです。国産メーカーの大東電気工業が製造を始めて普及しました。

電動ヘアクリッパーはさらに進化し、昭和47年(1972)には、コードレス、つまり充電式のヘアクリッパーが登場します。開発したのはウォール社です。

短髪・刈上げヘアには欠かせないヘアクリッパー、0ミリ刈上げ、いわゆるフェードや、細いラインを刈上げ部に書いて複雑な模様を描くこともできます。ヘアスタイルの表現をより多彩にしています。

丘圭・著