女髪結への禁令 寛政7年の口達

女髪結を対象にした最初の禁令は寛政7年(1795)十月の口達(くたつ、または、こうたつ)だと思われます。口達なので軽いお達しといえます。

その口達を意訳すると、「以前は女髪結と申す者はおらず、代金を払って他人に結わせる女もいなかったが、近頃は女髪結がいて、遊女や歌舞伎の女形風の髪に結っている。‥衣服も華美になり、風俗を乱している。‥」と近頃の状況を語り、女髪結、その父母、夫を含め心得違いであり、けしからぬことと断じ、さらに女髪結の仕事をやめさせ、仕立仕事や洗濯稼業など他の仕事に変えるよう促しています。

後年みられる女髪結を直接、摘発、捕縛したりすのとは違い、町年寄や町名主、地主、家主など町方役人に対して、女髪結の仕事を変えるよう指導せよと命じたお達しです。

この禁令は、水野忠邦さんがすすめた寛政の改革の一環として発せられたものです。江戸幕府は亨保の改革、寛政の改革、天保の改革と3回の改革を行なっていますが、いづれも庶民に華美を慎み、節約を求めています。

寛政の改革が行われた18世紀末、この禁令からすでに女髪結が江戸にいたことがわかります。そして、為政者はこれまでの風俗からして、女髪結そのものが心得違いの存在であり、仕事変えするよう促したものです。

この口達を受けた町方役人が、額面通りの指導をしたかはわかりません。おそらく、個人の采配で処理していたものと思われますが、そこは人情味の厚い町方役人、サジ加減も適宜ということで、女髪結は19世紀にかけてますます増えるのです。

丘圭・著

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