美少年、光源氏の髪削ぎ

平安王朝の時代、貴人の髪は、回りに使える者があたっていました。
髪の処置は、庶民はセルフか家族いれば家の者、同居者が相互にあたっていたものと思われますが、貴人は仕える者があたっていました。これは身分に上下の階級があらわれるようになった、平安王朝以前からのものと思われます。

平安王朝の時代を背景にした『源氏物語』(紫式部、(10世紀ころ)に、主人公の光源氏の元服で、髪削ぎの儀が描かれています。源氏の髪を削いだのは大蔵卿という役人でした。
それまでの角髪(みずら)結ひの光源氏は美少年でしたが、元服して冠をつけた源氏はさらに美しさを増した、と将来の女性遍歴を予感させる色男ぶりを表現しています。

『源氏物語』 桐壺 54帖中1帖より
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この君の御童姿、いと変へまうく思せど、十二にて御元服したまふ。居起ち思しいとなみて、限りある事に事を添へさせたまふ。
一年(ひととせ)の春宮の御元服、南殿(なでん)にてありし儀式、よそほしかりし御響きに落とさせたまはず。所々の饗(きょう)など、内蔵寮(くらづかさ)、穀倉院(こくさういん)など、公事(おほやけごと)に仕うまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰せ言ありて、清らを尽くして仕うまつれり。

おはします殿の東の廂、東向きに椅子立てて、冠者の御座、引入の大臣(おとど)の御座、御前にあり。申の時にて源氏参りたまふ。角髪(みずら)結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。大蔵卿、蔵人仕うまつる。いと清らなる御髪を削ぐほど、心苦しげなるを、主上は、「御息所の見ましかば」と、思し出づるに、堪へがたきを、心強く念じかへさせたまふ。
かうぶりしたまひて、御休所にまかでたまひて、御衣(おんぞ)奉たてまつり替へて、下りて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙落としたまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、思し紛るる折もありつる昔のこと、とりかへし悲しく思さる。いとかうきびはなるほどは、 あげ劣りやと疑はしく思されつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。

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(意訳すると)

源氏の君の童子姿を変えるのは惜しかったが、十二歳で元服した。帝はじっとしていられずあれこれ気をまわして何かと世話をやき、定められた事以上の事を加えさせた。
先年、東宮の元服が南殿で盛大に行われたが、その時の評判に劣らないようにした。あちこちの御饗応なども、内蔵寮や穀倉院など公の務めなども、おろそかになってはいけないと、特に仰せがあって、清らを尽くしたのであった。

御殿の東の廂の間に、東向きに帝の御座を置き、その前に冠者の御座、引入れの大臣の御座を置いた。午後四時、源氏が入場した。角髪(みずら)を結った顔つきや色つやは変えるのは惜しかった。大蔵卿の蔵人が役目を務めた。うつくしい御髪を削いでゆくにつれて、心苦しく、帝は「御息所(みやすみどころ)が見ていれば」と、思い出してたえがたい思いをじっと堪えていた。
冠をいただいて、御休所に向かい装束を替えて、東庭に下りて拝舞を舞うさまを見て、皆涙を流した。帝は、こらえきれずに、時に思い忘れることもあった源氏の母君のことを悲しく思い出されていた。まだこんなに幼ければ、髪を結い上げるのは見劣りするのではないかと心配されたが、美しさをさらに増すようであった。

丘圭・著