平賀源内の源内櫛

平賀源内さん(享保13年/1728~安永8年/1780)は奇才な人です。歴史の教科書ではエレキテルで静電気を起こした人として紹介されています。この源内さん、源内櫛という、しゃれた櫛を発案した人でもあります。

平賀源内

平賀源内さんの本職は、あえていえば本草学者(物産学者)になるのでしょうが、蘭学者、地質学者、医者、戯作者、俳人、画家、発明家、、、多才です。土用の丑の日にウナギを食べる風習は、この源内さんから生まれたという説もあり、コピーライターの祖ともいわれています。

源内さん、長崎に行って大量の伽羅の木を持ち帰りました。伽羅の木というのは香木でいい香りが漂います。この香木で櫛を作れば、それだけでも高級なのですが、もう一工夫して、棟の部分を銀で飾ってさらに高級な櫛に仕上げました。もちろん実際に作ったのは櫛職人ですが、アイデアを出したのは源内さんです。

この源内櫛を広めるために、さすが源内さん、宣伝にも工夫するのです。当時、人気の雛鶴さんという遊女と一献を傾けたあと、会えたお礼に「先年長崎表より持参せし伽羅をわざわざ挽かせし櫛なり。使ってくだされば、こんな嬉しいことはありません」といって源内櫛をプレゼントしたことろ、雛鶴さんがこの櫛を使ったことで、たちまち江戸中に流行した、とあります(『源内鳩渓実記』天明8年/1788)。

源内櫛ができたのは、宝暦(1751~1763)ごろで、『源内鳩渓実記』が書かれた天明8年には江戸に広まっていたようです。
オリジナルは伽羅の木でつくり棟(背の部分)に銀をかけたものでしたが、のちに紫檀や黒檀でも作られるようになり、棟に銀をかけたものを源内櫛と呼ぶようになりました。

この源内櫛、当時権勢をふるっていた老中、田沼意次家の奥女中にも人気になり、それが縁で源内さん、田沼家に出入りするようになったといいます。源内さんのことですから、うまく取り入ったのでしょう。

ところで源内さん、男色家としても知られています。江戸時代、男色は普通でしたが多くは女色との併用でした。しかし、源内さんは男色一筋で、二代目・瀬川菊之丞(瀬川路考)はじめ歌舞伎役者をひいきにしていた、といいます。
最後は、獄中で破傷風にかかり獄死しています。52才。波瀾万丈な人生でした。

丘圭・著