櫛より古い笄(こうがい)

笄(こうがい)は、端的に言ってしまえば、一本の棒切れです。これに髪を巻きつけて固定します。頭飾品の元祖ともいえる道具です。

櫛は縄文時代早期、紀元前7000年頃の東名遺跡(佐賀県)から出土しています(http://www.kamiyui.net/?p=56)が、笄は櫛よりも単純なので、それ以前から使われていた、と考えられます。紀元前1万年以上も前の遺跡から、鶴などの鳥類の足の骨が発掘されています。もしかしたら笄として髪を止めるために使っていたのかもしれません。単なる食べ残しかもしれませんが。

たかが棒切れ、されど棒切れ、この笄が髪型の歴史では一つの重要な道具として存在します。江戸後期には髪止めという役割を離れて頭飾品として異彩を放つのです。

平安王朝の時代、宮中の女官たちは自室でくつろぐとき、長い髪を笄に巻きつけて過ごしていました。急な公用があるときは、笄を外せば垂髪に戻すことができる、重宝な道具でした。

江戸時代になると笄髷は、島田、勝山、兵庫とともに髷の基本スタイルの一角を占めます。
先笄や両手髷、片手髷などの髪型として完成度の高い笄髷もあり、多くは笄を外せば垂れ髪になります。その一方で、髪型としての美しさは抜きにして、日常生活の「ケ」の場面で、仮留めする根源的な目的で笄は使われていました。

そして、江戸中期・後期になると笄の本来の役目を超えた髪型が登場します。笄は巨大化し、装飾品として何本も差し込まれます。笄を抜けば、垂れ髪になるのが、本来の笄の役割ですが、抜いても垂髪になることはありません。完全な装飾品です。
この時期、笄に限らず、櫛も本来の梳る櫛の役目とは別にして飾り櫛が登場し、2本、3本差されれたのと同様です。

浮世絵には笄を刺した遊女や歌舞伎役者が多く登場し、江戸の町中、笄髷姿の女性で溢れていたようなイメージを抱かせますが、裏長屋に住む地女や、また人口の大半を占める百姓の女性は、棒切れの笄で髪を止めて日々過ごしていました。農作業をする女性は笄で止めた髪を手ぬぐいで包みこんで作業に支障ないようにしていました。

艶やかで華やかな笄髷、遊女や歌舞伎役者の「ハレ」の髪型でした。

丘圭・著