身分表示としての髪型

「非人」という言葉には、正直たじろぎます。「人に非ず」です。
非人は古代からいましたが、鎌倉時代には非人の風体は定まっていて、江戸の時代もほぼ同様の姿でした。

髪型には、身分を表す役割もあります。
戦国時代までは、男子は冠・烏帽子を装着することが習いでした。冠・烏帽子姿でないのは幼少の少年は別にして、剃髪の僧侶と蓬髪(ほうはつ)の非人です。蓬髪はザンギリです。

江戸時代になると冠・烏帽子の風習がなくなり、頭を露わにする露頂へと変わり、月代・髷が一般的な男子の髪型になります。しかし、僧侶と非人は江戸時代になっても変わりません。維新後、断髪令(明治4年)が出されたとき、断髪をためらう男性が多かったのは、非人がザンギリ頭だったからという説があります。

蓬髪の非人が江戸の街に出向くときは頭を手ぬぐいで覆って蓬髪を隠すのが習いとされています。これでは身分を表す役割を果たしませんが、蓬髪の非人は着用する服の色も決まっていました。柿色です。

修験者の山伏が着ていた服の色が柿色だったからという説があります。山伏は普通の仏教の僧侶とは違い、「得体の知れない、人間離れした」人との認識があったため、非人は柿色の服を着せられたというものです。

「得体の知れない、人間離れした」非人のなかには、世の中の役に立たない人もいたでしょうが、異彩の才能の持ち主がいたかもしれません。

丘圭・著