普段は笄髷に手ぬぐい被り

江戸時代は「豊かで華やかでした」‥そんな江戸時代を賛美した紹介本があります。確かに「豊かで華やか」な一面はありましたが、「貧しく惨めな」一面もありました。むしろ後者のほうがたくさんあったのが江戸時代です。

髪型においても同様です。
灯籠鬢や文金島田、勝山など、華やかな日本髪をした女性がいました。華やかな髪をするのは、吉原、島原、新町の遊女です。そんな華やかな髪は、岡場所の遊女らに広まりました。一部の富裕な地女も華やかな髪を結うことはありましたが、ごく限られた人たちです。

華やかでひと目を引く髪だけに、絵画史料に残されています。いまインスタグラムでアップされるグルメと同じです。普段食べている食事をアップしてもつまらない。
江戸時代の絵師も際立つ髪型をした美女を好んで画材にしました。

地女が華やかな髪にすることもありましたが、それは特別な「ハレ」のときだけです。普段は簡単でしかも労働に適した髪型をしていました。
笄髷という日本髪があります。本体は笄を挿して髪を止める髪型です。江戸後期にはこれが発展して、笄は飾りとして使用されるようになり、もともとの笄髷とはまったくの別物になってしまいましたが、地女の普段は、本来の笄髷をして日々過ごしていました。

長い髪を笄一本で止められる簡単な髪型です。動きのある仕事をするときは、笄髷に手ぬぐいを被って髷が崩れるのを防ぎました。
江戸時代、人口の8割以上を占める農家の女性は笄髷に結って、手ぬぐいを被って働いていました。もしくはより簡単な玉結びに結って働いていました。

そんな農家の女性も冠婚葬祭の特別に日には日本髪にして臨みました。自前で結うか、女同士お互いに結合っていました。江戸後期になると、富裕な豪農の女性は女髪結を頼んだ人もいたと思います。

いづれにしても江戸時代の女性は、誰でもが毎日、華やかで艶やかな日本髪を結っていたわけではありません。

丘圭・著