美しい日本髪は時代の趨勢

徳川幕府は、亨保、寛政、天保と3回の改革を行ないました。幕府の財政を立て直すのが主な目的ですが、町人にも節約を強いました。前回(*)、紹介した女髪結の取締りもその一環です。

節約の奨励は、華美な髪型だけにとどまりません。櫛、笄、髪飾用の縮緬なども対象で、金細工・銀細工・鼈甲製、豪華な蒔絵などで装飾した髪道具の使用が禁じられました。

髪型、頭飾品に限らず、着物や駕籠の利用、また贅沢な雛人形や5月の節句の兜人形などど多くの分野での贅沢品が対象でした。
女髪結への指導は寛政の改革から登場しますが、女髪結以外は亨保の改革からやり玉にあげられています。しかも女髪結と同様、頻繁に禁令の触れが出されています。

触れが出されると、いっときは自粛するのですが、すぐに元の状態に戻るのは女髪結と同様です。だから度々触れが出されたわけです。

頭飾品にしろ、雛人形や兜人形にしろ生活必需品ではありませんが、すでに当時、裾野の広い産業として成立していました。櫛職人、蒔絵職人、金銀の細工職人、また金糸で飾った雛人形や飾りの幟などの制作に多数の職人が製作工程を分担して携わっていました。
これらの装飾品や人形を禁止することは、その製造に携わる人の仕事を取り上げることになり、景気は冷え込みます。

また着飾ることや、子供を可愛がる親にとって人形を飾ることは、町人にとって物心両面の満足でした。禁令は、町人の生きがいを奪うことでもありました。
日本髪と女髪結も同様です。18世紀後半の近世に生きる町民にとってなくてはならない存在になっていました。

奢侈の禁止は本来、大奥の冗費削減にあったわけですが、その大奥は老中の申し出を一蹴しています。結果、幕府の奢侈禁令はうまくいきません。時代錯誤の禁令としかいいようがありません。
そして、3つの改革は結局のところ失敗に終っています。

(*)『江戸の女性が求めた女髪結 』

江戸の女性が求めた女髪結

丘圭・著