「江戸名所図屏風」に見るかぶき者の髪型

江戸時代前期の江戸の町を描いた屏風絵に「江戸名所図屏風」(出光美術館)があります。中期になると浮世絵の絵師も登場し、多くの絵画史料が残されていますが、前期は少ない。

「江戸名所図屏風」より

「江戸名所図屏風」のほかには「江戸図屏風」(国立歴史博物館)、個人所蔵の「江戸天下祭図屏風」など数点しかありません。

この三点は、江戸城の天守閣があったころ、明暦の大火(1657)前の江戸を描いた貴重な絵画史料といわれています。これらの屏風絵には多数の人が描かれていて、当時の風俗や髪型の一端を知る上でも貴重です。

「江戸名所図屏風」には「江戸図屏風」の4983人には及びませんが、2996人の人が描かれています。歴史の研究家や絵画史を研究する専門家が数えた数字です。
屏風絵は依頼主がいて、依頼主の意向に沿って絵師が制作します。「江戸図屏風」は武士による狩りの模様が描かれています。場所は江戸近郊の川越あたりといわれています。当然、武士が多く描かれています。江戸前期の武士の多くは月代に丁髷姿だったのがわかります。

「江戸図屏風」に対し、「江戸名所図屏風」は武士や町人も描かれていますが、かぶき者といわれる人や風呂屋の湯女たちも多く登場します。それと船遊びをしている人や船の描写が多いのが特徴です。この屏風絵の依頼主は幕府水軍の重役だった向井将監という説があるのもうなずけます。しかもこの旗本、旗本ながら遊興好き、かぶくのが好きだったようです。

この屏風絵から、江戸前期のかぶき者の風体、湯女の様子が垣間見ることができます。
武士をはじめ町民に月代・丁髷が浸透し始めた江戸前期ですが、かぶき者は総髪姿が多い。また、たぼを厚くとり、人によっては肩あたりまで長くしています。髻の位置は武士よりだいぶ下で、しかも二つ折りの銀杏髷ではなく、茶筅です。

一見して普通の男子の風体とは異なります。異相をすることで、かぶき者同士の仲間意識を高めたのかもしれません。鎌倉期の悪党、室町期のバサラ武士のような示威的な効果を狙ったのかもしれません。とにかく異風です。

異風のかぶき者にまじって前髪姿の若衆がいます。歴史研究家が数えたところ、257人の若衆が描かれているそうです。前髪を膨らませて前頭部におさめた、前髪の基本ともいえる丸前髪の若衆、前髪をセンターから左右に振り分けた振り分け前髪、丸前髪の前髪の下、耳前部あたりの髪を下げたものなどが見られます。髷はかぶき者同様下の位置、タボは厚く、茶筅が多い。

かぶき者は長キセルや長大な太刀の携行、派手な衣装など異相を好んでいますが、髪型では厚くて長めのタボ、髻を下にとった茶筅髷が特徴といえそうです。
そして前髪姿の若衆はセクシャリティな存在といえ、当時流行していた衆道といわれる男色趣味を反映しているものと思われます。

幕府は、男色関係による刃傷沙汰が多発したことから、男色を禁止する町触れをたびたび出していますが、たびたび出したということは触れ通りにいかなかったからです。「江戸名所図屏風」の製作年は特定されていませんが、前髪姿の若衆歌舞伎が禁止された承応元年(1652)、その前後かもしれません。

この前髪姿、若衆のトレードマークですが、多くの湯女もしました。前髪姿は女性にとってもセクシャリティの高い髪型だったといえます。この前髪が変化して多くの日本髪が誕生しました。

*)画像は、かぶき者同士のケンカをしている場面です(「江戸名所図屏風」より)

丘圭・著