中剃りをした若衆

「江戸名所図屏風」余話

「江戸名所図屏風」は江戸前期に描かれた絵画史料として価値があります。ここに描かれた人物は三千人近くいて、当時の風俗を知るうえで大変参考になります。

江戸名所図屏風の全景

歴史研究家らにより、この「江戸名所図屏風」の制作年や製作者を特定するための研究が進めれ、おおよその見当がつくまでにいたりましたが、特定はされていません。

制作年を特定するのに参考になったものの一つとして、歌舞伎に登場する人物の中剃りがあります。「江戸名所図屏風」には中剃りをした若衆歌舞伎が描かれています。

女舞や遊女歌舞伎は寛永6年(1629)に禁止され、若衆歌舞伎へと移行し、若衆歌舞伎は承応2年(1653)に禁止されるまで続きます。若衆歌舞伎が江戸で演じられていたのは1629年から1653年の24年間です。
このことから「江戸名所図屏風」の製作は1629年から1653年の間である可能性が高いといえます。

年代を特定するには、竣工年、滅失年が判明している建造物が最有力な絵画史料になります。「江戸名所図屏風」には、天下一の威容を誇る江戸城天守閣が描かれています。天守閣が最初に作られたのは慶長3年(1607)、その後何回か修築され、寛永14年(1637)に本格的な工事が行われ、天下一といわれるに至ります。消失したのは明暦の大火(1657)です。天下一の江戸城天守閣が存在したのは1637年から1657年の20年間です。若衆歌舞伎が行われていた年代とおおよそ一致します。

この他にも浅草寺や増上寺、寛永寺などの建造物が描かれており、これらの建造物からも年代の推定作業が行われています。また描かれた船から和船史によるアプローチや、運搬用の牛馬の輸送史からのアプローチもあります。

前述の若衆歌舞伎の中剃りについては、女性も中剃りをしているとし、描かれているのは女歌舞伎の可能性が否定できない、と異論を唱える研究者もいますが、女性が中剃りをするようになるのは日本髪が普及し、技巧を凝らすようになった江戸中期末から後期以降です。中剃りして髪を薄くすることでより技巧的な表現をするためです。まだ日本髪として完成していない当時の中剃りは考えにくい。

というわけで、「江戸名所図屏風」、製作年は江戸時代前期、1637年ごろから1653年ごろの間であることは間違いないようです。それだけわければ十分なような気がします。

だいいち絵画表現は自由自在です。邪魔なものは描きません。逆に、思い入れのあるものなら実際には目の前にはなくても再現してしまうこともあります。江戸城天守閣に思い入れがあれば、仮に明暦の大火後でも画面に書き込むことだってあります。

また風俗はおおよその時代はわかりますが、時代を区切るものではありません。
奇をてらうのが好きな遊女です。中剃りをしていた女歌舞伎の遊女がいた可能性はないとは断定できません。その一方で、若衆歌舞伎は遊女歌舞伎が禁止される前から演じられていた可能性はあります。
というわけで徐々に変化する風俗で年代検証の史料としては価値は高くはありません。

個人的には、製作年について真剣になって検証する必要を感じません。もちろん製作年を特定することに越したことはありませんが、かといってこだわる必要はありません。少なくとも風俗についてはおおよその年代が分かれば十分です。

3千人近くの人たちが描かれている「江戸名所図屏風」です。ここに描かれた人が当時の江戸の住人の縮小比しているかというと、そんなことはまったくありません。むしろ「江戸名所図屏風」に描かれた人たちは江戸市中でも特異な存在の人たちが多く登場しています。

またそこに描かれている人の顔は似通っています。後年の浮世絵も同じことがいえますが、絵描きによる顔の表現の違いはありますが、同じ絵師の描く顔はどの顔も似通っています。

髪型や服装もリアルに再現表示しているわけでは決してありません。アバウトに表現してたものと理解したほうが無難です。そんな前提に立って絵画史料は見るべきです。それでも十分に参考になる、価値ある史料です。

丘圭・著