江戸時代の庶民の女性髪は、簡便な笄髷か垂髪

石城日記に頻繁に出てくる団子状の結髪(上)。ネット上にあった笄を使った簡便な髷。実際はセルフで結うのでもっとざっくりしていた。
石城日記に頻繁に出てくる団子状の結髪(上)。ネット上にあった笄を使った簡便な髷。実際はセルフで結うのでもっとざっくりしていた。

江戸時代に登場した日本髪の髪型は約300ある。
江戸時代の日本髪の髪型は笄髷、兵庫髷、島田髷、勝山髷の4系統に分けて語られることが多い。しかし、なかには区分するのが難しい髪形が少なくない。

これら4系統の髷が生まれた出自をみると、二つに大別できる。宮中の女官が宮仕えしないときに、煩わしい長い垂髪を笄で巻いて動きやすいようにした実用的な面から発生した笄髷と、それ以外の髷になる。
唐輪髷から変化した兵庫髷、島田宿の遊女がしたという島田髷、湯女の勝山がしたという、島田髷から変化した勝山髷はいづれも遊女がした髷で、華美を競った。

もちろん江戸時代初期の日本髪は、若衆髷の影響を受けている。それは男装という異形にすることで目立つことのを目的にした。
日本髪の発祥は、男装して踊った阿国にはじまったといわれる。女歌舞伎、若衆歌舞伎、などの影響を受けつつ、遊女らを中心に受け継がれ進化していった。

実用から発祥した笄髷も江戸時代、他の系統と同様、華美を競った。しかし、その一方で江戸時代を通して、実用面に徹したシンプルな笄髷も広く結われていた。数の上では他の髷より多い。
江戸時代というと、江戸・京都・大阪の三都の町人文化がいまに伝わる。それらをイメージして江戸時代を理解している人が多い。
しかし、人口構成比では八割以上は農民であり、日夜、肉体労働をしていた。農家の女性はその多くが笄を一本刺して髪をまとめたか、もしくは垂髪を後ろで結んで垂らしていたと推測するのが妥当だろう。

町人の女性にしても貧しい人は簡便な笄髷ですませていた。江戸初期に書かれた「好色五人女」(井原西鶴)に、頭に物が当たって髪が解けた記述が見られる。江戸時代後期に描かれた「石城日記」(尾崎石城)に登場する女性の髪形は後頭部や後頭上部に団子状にまとめ一本の笄を刺した髪形が多い。これが下級武士の女性や町人の女性の日常姿である。たまに鬢が張りタボ(ツト)のある日本髪をした女性が描かれているが、飲み屋の女将が多い。

江戸時代、女性は髪を結い上げたが、その多くは今に伝わる錦絵や浮世絵に描かれた華美な結髪ではなく、非常にシンプルな実用的な髪にしていた。
日本髪は幕末から明治初期にかけて庶民の間に普及したようだ。そして明治18年の婦人束髪会による日本髪廃止運動を経て、徐々に衰退していった。ただ明治中期から西洋束髪が登場したが、日本髪の技は西洋束髪、西洋髪結にもいかされた。

丘圭・著