華美な髪をしたのは一部の女性

江戸時代も中期になると、手の込んだ装飾性の高い華やかな、数々の日本髪が登場します。以前紹介した「燈籠鬢」(http://www.kamiyui.net/?p=349)も江戸時代中期を代表する髪型の一つです。

日本髪を紹介した書籍をみると、江戸市中の女性がこぞって装飾性の高い日本髪を結ったかの印象を受ける記述が目につきますが、そんなことは考えられません。
装飾性の高い艶美な日本髪をしたのは、ごく限られた女性達です。

町人の女性も武家の女性もセルフ(自前)でできる簡素な結髪をして、日々の生活を送っていました。笄を外せば垂髪になる角ぐる髷や簡便な玉結びなどです。それらの髪を手ぬぐいなどの布で包み込んでいました。

幕末の嘉永6年(1853)、江戸市中に女髪結は14百余名いた、と『武江年表』(斎藤月岑)にあります。当時の江戸の人口は、諸説ありますが120万人程度といわれています。江戸時代前期の江戸は圧倒的に男子が多かったのですが、幕末になると、やや男子人口が多い程度の男女比率になっています。

いまの東京の人口は1364万人、女性人口は650万人ぐらいです(総務省)。美容師は6万7千人(衛生行政報告)が都内で働いています。美容師1人あたり100人程度の客を抱えている計算になります。

この計算でいくと、嘉永6年の14百余名の女髪結が客にしたは14万人ほどになります。
ところが、いまの美容師の仕事はカット&ブローが中心なのに対し、江戸時代は髪結、ひとむかし前の、なでつけセットです。

カット&ブローなら月に1回程度の施術ですみますが、セットとなると、銀座のママが毎日美容室に行くように、ほぼ毎日です。江戸時代も2、3日に1回は女髪結に髪を結ってもらっていました。月代が伸びる男子が髪結床に2、3日に1回通ったのと同じようなものです。

この計算でいくと、女髪結が髪を結った客は、5、6千人程度になります。遊女、芸者を中心に、富裕な商家の女子らに限られていた、と考えるのが妥当です。

裏店暮らしの貧乏所帯の女性は、女髪結とは無縁の生活をおくっていました。
『世事見聞録』(文化3年、1816)に女な髪結が裏店に入り込んで仕事をしていると嘆いていますが、裏店の女は普段の「ケ」のときはセルフでしていて、特別な「ハレ」の日に女髪結に頼んだのでしょう。

また江戸時代、85%は農業に従事する百姓です。ごく一部の富農は別にして、大多数の百姓は日々、かなり過酷な労働に従事していました。女性も同様です。時間をかけて髪を結っている時間などありません。

裏店の女性にしても、百姓の女性にしても、装飾性の高い髪は労働するにはまったく不向きです。髪を巻き上げ笄で止め、布で覆った、簡便でしかも労働に向く髪型をしていたものと考えます。

丘圭・著