上総の出身者が多い髪結

江戸の髪結床は上総の出身者が多くいた、といます。そもそも髪結床の祖は、里見家の浪人という説があるほどです。

里見家は慶長19年(1614)、当主・里見忠重が転封されます。里見家はもともとは安房を治めていましたが、改易された当時は館山藩として12万国の大名でした。転封後、忠重には子がなく、結局改易されています。

その里見家の元家臣が領地だった安房で浪人し、髪結を稼業にしたのが髪結床の始まり、というのです。安房家の浪人が髪結の技を習得し、地元でその技を広め、伝承したものと思われます。地元の次男、三男らを集めて髪結、月代剃りの技を伝授する、そんな手習い座のような組織が、城下町の久留里かその近くの村にあったのかもしれません。
川柳に上総出の髪結が多く詠まれています。

○昼上総夜は越前廻るなり/「川柳評万句合勝句刷」安永4年鶴4
床屋は上総出が多く、番太郎(夜警)は越前出が多いことを詠んだ川柳で、安永ごろの江戸の世情です。
なお、この川柳は「誹風柳多留」三五24にも掲載されています。

○生臭い船で髪結渡海する/「川柳評万句合勝句刷」明暦8年信3
金のない髪結は生臭い漁船に乗って上総から江戸に出稼ぎにやってくる。

○江戸川の縁に髪結二三人/「川柳評万句合勝句刷」安永8年智6
上総からやってきた髪結です。出床で働いている髪結なのか、廻り床屋の仲間なのか。

○一睡のうちに髪結江戸に着き/「誹風柳多留」二七12
船に揺られているうちに居眠り。上総と江戸は近く、わずかな時間で到着。安房からの出稼ぎ髪結を読んだ川柳です。

上総出の髪結を詠んだ川柳のいくつかを紹介しましたが、そういえば歌舞伎や浄瑠璃に登場する、小悪党の髪結新三も上総の出です。
「そっちが弥太五郎源七なら、こっちは上総無宿の入れ墨新三だ!」と髪結新三が切る啖呵が有名です。

浄瑠璃『恋娘昔八丈』(安永4年/1775)では、髪結才三として登場します。歌舞伎の『梅雨小袖昔八丈』(つゆこそでむかしはちじょう、河竹黙阿弥、明治6年)では新三として登場します。
才三、新三には実在のモデルがいます。髪結清三郎といいます。上総出の髪結で、亨保12年(1727)に鈴ヶ森で処刑、獄門されています。
浄瑠璃、歌舞伎ともこのときの事件を題材にとった演目です。

上総出の髪結は江戸に多くいたのは間違いありません。ですが髪結の祖となると、前回紹介した、天正年間の伊勢者の「かみゆゐ」のほうが早い。
というわけで、上総の髪結は、江戸での髪結の祖としておきましょう。

丘圭・著