室町時代にあった銀杏髷

江戸時代の男子髪型は銀杏髷が付きものです。その銀杏髷の初見は室町時代15世紀ごろの巻絵『福富草紙』とされています。

『福富草紙』より

『福富草紙』は御伽(おとぎ)草子絵巻の先駆とされる絵巻ですが、その内容は
放屁(ほうひ)の珍芸のため富を得、財をなした高向秀武(たかむこのひでたけ)という老人と、これをまねて失敗した隣家の福富老人の物語
という、たわいのないものです。

この絵巻には多くの人物が描き込まれていて、当時の風俗の一端を知る上で参考になります。男子の多くは烏帽子姿です。坊主頭や、賤民と思われるざんばら髪の放髪姿も混じってます。そんな中に一人だけ、髷を銀杏にした、つまり二つ折りにした男子が見られます。これが絵画史料における銀杏髷の初見とされる絵です。総髪で、髪をひっつめ百会あたりで髻をとり、その髷を折っています(絵・参照)。

この絵巻には女性も多く描かれています。多くは古来から続く垂髪です。垂髪を後頭下部で結った姿も混じっています。そんな中に髪を後頭部で丸めて結んだ束髪姿の女性がいます(絵・参照)。この束髪姿に近い女性は七十一番歌合にも描かれています。
当時、女性の髪は垂髪が主流でしたが、労働するときなどは髪が邪魔にならないように束髪に処理していたのでしょう。

室町時代にすでに見られるこの束髪、戦国時代から江戸時代、さらに明治期になっても働く女性は簡単な束髪にしていました。農作業などでのホコリを防ぐために手ぬぐいを被る農婦もいたでしょう。

江戸時代、農民は全人口の8割以上を占めます。装飾性が高く華やかな日本髪をする女性は確かにいましたが、少数です。多くの女性は「ケ」のときは簡単な束髪にして、また束髪が乱れるのを防ぐために手ぬぐいで後頭部を覆って作業にいそしんでいたものと、と思います。

丘圭・著