銀杏返しのアレンジ? 牡丹髷

『濹東綺譚』で、主人公の大江が最初にお雪に会ったときは潰島田(つぶし)でした。のちに丸髷もするのですが、これとは別に、いまとなっては不詳の髷もしています。

三日ぶりに玉の井を訪れた大江の前には、いつもの見慣れた風景が目に入ります。
…いつもの窓に見えるお雪の顔も、今夜はいつもの潰島田ではなく、銀杏返しに手柄をかけたような、牡丹とかよぶ髷に変わっていたので、わたくしはこなたから眺めて顔ちがいのしたのを怪しみながら歩み寄ると…

いつもの見慣れた風景のなかでお雪の髪型がいつもと違っていて、顔ちがい、つまりイメージが違っていたことを強調しています。

銀杏返しには「いちょうがえし」とルビがふってありますが、「ぎんなんがえし」と呼ぶこともある髪型です。幕末から明治にかけて流行った髪型で、少女から大人の女性まで幅広い年齢層に結われました。昭和の時代も粋筋に結われていたようです。
銀杏返しは、銀杏髷をアレンジした髷で、髻を二分して根の左右に輪を作り、さらに毛先を根に回し元結で結びます。江戸・東京では銀杏返し、上方では「新蝶々」といいます。ちなみに銀杏髷のことを上方では蝶々といいます。

お雪の髪はこの銀杏返しに手柄、つまり布切れ・縮緬をかけたような髪をしていたと書いています。少女の髷に縮緬などを巻いて可愛らしく見せるのはよく行われていますが、粋筋なのでおそらく渋めの手柄を巻いていたのだろうと思います。
そして、その髷は「牡丹」と呼ばれていたらしい。「牡丹とかよぶ」と書いていますので、著者の永井荷風さんも自信がなかったようです。

髪型の名称については、江馬務さんが『日本結髪全史』で過去の文献史料から採取して、かなり詳細に名前付けしています。名称を数えると300以上あります。文献に表記される名称を絵画史料などとすり合わせているのですが、絵画史料のない名称だけのものもあり、髪型が不詳なものも多数あります。

しかも、前述のように同じ髪型でも江戸と上方で名称が異なったり、同じ名称でも時代によって違う形状のものだったりします。
早い話、名称と髪型の形状が整理されていないのです。このことは、島田髷、兵庫髷、勝山髷、笄髷の日本髪の4系統にもいえることで、こちらはそれぞれの髷の定義がされていないことから、どっちつかずの日本髪が多数発生してしまうという結果になっています。

前述の「牡丹」、作家の不確かな記憶、あるいはイメージで表現した言葉ですが、髷の名称が後年、謎解きの材料になってしまう、いい例です。
もっとも、『濹東綺譚』が書かれた当時は、すでに髪結業界の業界誌が発行されていますので、業界誌を丹念に調べればもしかしたら「牡丹」「牡丹髷」がでてくるかもしれませんが、、、

丘圭・著