日本髪と帯・着物の関係

見返り美人図は、浮世絵師の祖と称される菱川師宣の代表作として知られる。17世紀後期の作という。
後ろに垂らした髪をざっくりと輪に結った髪で当時、まだ島田髷や勝山髷は広まっていなかったようだ。
日本髪は若衆髷や唐輪髷の影響を受けながら、日本髪特有の髪型を形成していくのだが、初期の頃はまだタボ(ツト)は見られない。鬢はさらにその後になる。

見返り美人図(東京国立博物館)
見返り美人図(東京国立博物館)

この見返り美人に見られる帯は、吉弥結び(きちやむすび)という。元禄時代、歌舞伎の人気女形、上村吉弥が考案したと伝わる。後の帯に比べると帯幅が短い。
日本髪は時代とともに後ろ髪が短くなり、タボ(ツト)に収束されていく。背中が広くなり、その空間を埋めるかのようい幅の広い帯が登場してくる。

江戸開幕前後の文禄、慶長の頃は二尺五寸を四つ折りだったものが徐々に広くなった。喜多村信節、太宰春台、井原西鶴の著作にも女帯の幅が広くなってくることが叙述されている。

島田髷や勝山髷、笄髷、兵庫髷に代表される日本髪は江戸中期から装飾性が増してくる。それとともに、帯幅は広くなり、帯結びも髪に合わせて装飾性が高くなる。
着物の材質も高級化していった。綿・絹織物から、羽二重、繻子、紗綾、緞子、繻珍などが使われるようになった。

幕府は、たびたび贅沢を禁ずる触れを出すのだが、遊女らの美への欲求は抑えがたかったようで、装飾性豊かな髪型、贅沢な着物、華美な帯結びが次々と現れ、世界に類を見ない、近世日本の風俗文化を作り上げていった。

丘圭・著