無造作な髪の楠本イネさん

写真が日本に伝わったのは幕末です。明治中頃にはに写真術を身につけた日本人の写真家が増え普及しますが、写真機を前にした写される人は周到に準備して構えます。そんな着飾り、正装し、背筋を伸ばした写真が多い中で、楠本イネさんの写真は日常の一コマを切り取ったような自然な写真で、当時の写真を眺めていると、とても印象に残ります。

楠本イネ楠本イネさん、オランダから来日した医師のシーボルトと長崎の遊女・楠本タキ(おたきさん)との間にできた子です。生年は文政10年(1827)。日本初の産科の女医として知られています。
この写真を撮影した場所、年代は不明です。東京に出てきたころ、明治6年に福沢諭吉の推挙で宮内庁に登用されますが、その前後のころかもしれません。手にしているのは医学書でしょうか。この推測だと、楠本イネさん45歳前後になりますが、写真の風貌はもう少し若い感じもします。

前回、紹介した幾松さん(木戸松子)の髪型はシンプルでしたが、イネさん髪型はもっとシンプルというか無造作です。後頭上部に細い棒のようなものがのぞいてます。おそらく小振りな笄です。全体の髪を後頭部になでつけ、まとめあげて笄で止めただけの簡便な髪と思われます。

江戸時代後期、笄髷といわれる日本髪が登場します。特大の笄を何本も差し込んだ装飾性の高い髪ですが、本来の笄髷は笄で毛束を止めただけの髪です。その定義からすると、江戸後期、花魁がした笄髷は別物といえます。

笄一本、棒きれ一本で毛束を止める技法は古来からある原始的な髪の処理方法です。単純なだけに普遍的に行われた技法で、いつの時代にも行われていました。江戸時代も農婦や仕事を抱える女性は笄一本で毛束を止めて、作業をしていました。ときには髪がバラけるのを防ぐために笄で止めた髪に手ぬぐいを被せて固定してりしていました。

明治期に写された写真には、美しい日本髪に結った女性の写真が多く残されています。撮影する前に髪結さんに出髪(出結い)を頼んで、入念に結ってもらって写真機の前に立ったのでしょう。日本髪を美しく結うには鬢差し、タボ差し、小枕、髢など小道具が必要です。自前で行うのは困難で、髪結さんに頼まなくてはなりません。

芸妓、遊女らは別にして地女は特別なハレのときにしか髪結さんに頼まなかった。そして写真撮影は特別なハレ舞台の一つでした。

楠本イネさん、明治36年(1903)に76歳で没します。老年期の写真も残っていますが、髪は白く薄い。ここに掲載した写真より西洋人っぽい印象を受けます。幕末から明治にかけて、数奇な人生を歩んだ女性でした。

丘圭・著