新島八重さんのザンギリ髪

幕末から明治に活躍した女性の一人に新島八重さんがいます。2013年に放送されたNHKの大河ドラマ『八重の桜』で主人公になった女性です。

旧姓・山本八重。弘化2年(1845)~ 昭和7年(1932)。
銃の腕前は男の兵士より優れ、会津城で薩長軍と戦ったときには、当時最新式の七連発スペンサー銃で多くの敵兵を倒したといいます。

戦さに破れたあと、同志社を興した新島襄さんと再婚、新島八重になります。西洋文化に触れレディファーストを心得ていた新島さんと、かたや男勝りの八重さんはたいへん仲睦まじかったそうです。人前でも仲睦まじくしたため、保守的な人たちから多くの非難を受けた、と伝えられています。

非難の矛先に、八重さんの髪型があったかもしれません。というのは残された写真を見ると、オカッパ頭だからです。脱亜入欧を目指した明治政府ですが、女子の風俗は旧習のままを是としてきました。

断髪令は明治4年に出されました。断髪令を受けて一部の女性はザンギリにしました。その合理性、経済性に女子のザンギリを評価する新聞(『開化新聞』)もありましたが、大方は「醜態陋風、見るに忍びず」と批判的な論調でした。一部の女性と書きましたが、「近頃、府下にて往々女子の断髪する者あり」(『新聞雑誌』)と目立つ存在だったようです。

一般に断髪令といわれますが、内容は月代や髷を結わなくてもいいといった程度の緩いものです。性別の指定はありませんが、同時に帯刀禁止令が出されているのをみると、男子風俗が対象だったのがうかがえます。

新島八重さんの髪型を見てみましょう。
上の写真は、センターパートにして全体をバックになでつけています。バックは毛束がはねていて、後頭部で髷を結っていないようです。下の写真は、左の女性が八重さんですが、後頭下部で一直線に断髪されているのがわかります。

これらの写真の撮影場所、撮影時期は不明です。下の写真は、新島襄さんが写っていることから、婚約した明治8年(1875)以降から新島襄が死去する明治23年(1890)の間、八重が30歳から45歳の間になります。
この間には鹿鳴館時代といわれる一時代もあり、洋風髪型をする女性もいましたが、八重さんのしている髪型とは別物です。

幾松さん、楠本イネさん、そして今回の新島八重さんの髪型に共通しているのは簡便さです。当時の写真や日本画には多くの女性像が残されていますが、多くの女性が普段していた髪型は生活の利便性を考え簡便なものだったように思います。

明治18年に日本髪を排斥する束髪会の運動がおこります。この運動は女性の髪型に大きな影響を与えます。この運動の趣旨で、日本髪の不衛生さ、非合理さ、不経済さを強調していますが、すでに明治5年発行の『開化新聞』は同様の趣旨で女子のザンギリを評価していたのは面白い。

新島八重さん、夫の死後は、日清、日露の戦争に従軍看護婦として活躍し、皇族以外の民間人女性で初めて叙勲を受けた人として名を残します。

丘圭・著