災害が生んだ日本髪?

髪結の仕事は個人技によるところが大きい。いまのヘアスタイリストにもいえます。髪型、ヘアスタイルとして一つの作品に仕上げるのは個人の技、感性です。

江戸時代、さまざまな髪型が誕生しました。300を超す日本髪があるといわれています。
歌舞伎役者や遊女の斬新な髪型から誕生したものもありますが、多くは髪結の手から生まれました。

なぜ、これほど多くの髪型が誕生したのかを考えると、江戸の時代に多発した災害も一つの要素として浮上します。

江戸の町はたびたび災害に遭ってます。風水害、地震、噴火など自然災害もありますが、なんといっても多いのが火事です。「火事と喧嘩は江戸の花」といったものです。災害がおこるたびに多くの人命が失われています。

下に『日本史年表』(歴史学研究会編、岩波書店)から江戸市中に関係する災害を拾い出してみました。「江戸大火」とあるのは江戸以外にも、京や大坂など各地で火災が発生しているからです。年表を見ると、日本が地震や噴火の多い災害列島であることがわかります。

明暦の大火は7万人を超える焼死者出した大災害といわれています(死者数は諸説あります)。他の災害は明暦の大火ほどではないにしろ、数千人はなくなっています。いっときに大勢の死者が出ると、風俗に影響を及ぼすことがあります。髪結風俗も少なからず影響を受けたと思われます。

女髪結が江戸に現れたのは安永のころ、遅くとも天明のころには江戸で仕事をしていました。おもに遊女相手に仕事をしていました。禁令の仕事でしたので、店は構えずに遊郭などに出向いて髪結仕事をしていました。
女髪結の居住地は、遊郭にそれほど遠くない町人地の長屋です。大火で一番被害を受けやすく、死者がでやすい地域です。おそらく大火のたびに女髪結も命を落としているはずです。

天明以降、日本髪には多くの髪型が登場しますが、この背景には女髪結の入れ替わりがあるのだと思います。髪結の技は個人技です。師匠といわれる女髪結がいて、下働きの梳き手を雇って出髪で仕事をしていました。梳き手は一種の見習いです。災害で万が一、師匠が被災したときは師匠に代わって得意先を回ったはずです。そんなときに新しい髪型が誕生する可能性があったのではと思います。

大災害は人を入れ替える側面があります。仕事も変えます。
日本橋界隈の大店は江戸初期からいまに続く老舗もありますが、大火で店が消失すると、商売の傾いていた店はそれを機会に撤退し、新たな店にかわってます。災害は新旧の仕事の入れ替えを促進する働きもあります。

髪結も入れ替われば、自ずと作る日本髪も変わります。その結果、何種類もの日本髪が登場した。もっとも「何種類もの」といいましたが、違いは微差ですが。

【江戸時代 江戸の災害の歴史】(『日本史年表』より)
寛永18年(1641)江戸大火
明暦3年(1657)明暦の大火
寛文8年(1668)江戸大火
天和2年(1682)八百屋お七の大火
元禄11年(1698)江戸大火
元禄16年(1703)南関東大地震、江戸大火
宝永4年(1707)富士山噴火、同地震
正徳2年(1712)江戸市中火事頻発
亨保5年(1720)江戸大火
亨保6年(1721)浅間山噴火による飢饉
元文2年(1737)江戸大火
延享2年(1745)江戸大火
宝暦7年(1757)関東洪水
宝暦10年(1760)江戸大火
安永元年(1772)目黒行人坂の大火
天明3年(1783)浅間山大噴火、飢饉
享和2年(1802)江戸大洪水
文化3年(1806)芝の大火(丙寅の大火)
文化6年(1809)日本橋・本所大火
文化11年(1811)市ヶ谷大火
文化13年(1816)江戸で疫病流行
文政12年(1829)江戸大火(巳丑の大火)
天保5年(1834)江戸大火(佐久間町大火)
弘化2年(1845)江戸大火
弘化3年(1846)江戸大火
嘉永6年(1853)関東地震
安政元年(1854)江戸地震
安政2年(1855)日本橋・浅草大火、大地震(安政の大地震)
安政3年(1856)江戸・風水害
安政5年(1858)江戸大火
安政6年(1859)山の手大火
文久3年(1863)江戸大火、江戸城西の丸類焼

丘圭・著