『東京百美人』

明治24年(1891)、日本初といわれる美人コンテストが行われました。美人として評判の芸者衆が応募し、その美しさを競いました。

いまの美人コンテストとは全く違い、写真を撮影して前年に浅草に開業した、当時の高層建物・12階建ての凌雲閣に写真を掲示し、来場者に投票してもらう、という趣向で行われたコンテストです。早い話、凌雲閣の客寄せイベントです。

その結果は『TYPES OF JAPAN SELEBRATED GEISHA OF TOKYO』という冊子に残されています。ここに掲載したのは上位3位に入った芸者さんです。
3人とも新橋芸者です。新橋芸者のほかに日本橋芸者や赤坂芸者、柳橋芸者ら都内の粋筋の芸者の名前があります。上から、1位の玉菊さん(玉川屋)、2位の桃太郎さん(相模屋)、3位の小豊さん(中村屋)です。カッコ内は置屋名です。

投票に際して贔屓筋に頼んで投票してもらった、という話もあり、正しく評価されたわけではなさそうです。とはいえ掲載されている芸者衆は『東京百美人』にふさわしく美人ぞろいです。

『東京百美人』は外国人向けの日本みやげとして制作されましたが、日本男児にも評判でした。芸者の写真入りのハガキや名刺もあって、人気だったといいます。
江戸時代の美人画の浮世絵と同じです。浮世絵は美人の名高い茶屋娘や花魁らを競って描いていました。浮世絵は芸術的にディフォルメされていますが、おそらく江戸時代の女性も明治の女性に負けず劣らずの美人だったのは想像できます。

ところで『東京百美人』で芸者衆を撮影したのは小川一真さんという写真家です。芸者衆は小川さんの写真館に出向いて、髪結さんに髪を結ってもらい、着付けてもらって撮影に臨みました。担当した髪結さんは、ふだんから置屋に出入りしている髪結さんです。髪結さんの名前は残念がら伝わっていません。
新橋には、伊賀とらさん、桑島千代さん、大沢たけさんという髪結の名手がいて、おそらく小川写真館で待ち合わせて、何人かの芸者衆の髪を結ったものと思います。

『東京百美人』の写真をみると、新橋芸者と日本橋芸者の髪は似ていますが、赤坂芸者、柳橋芸者の髪は少し違う感じがします。
『東京百美人』にはありませんが、同時代の大坂芸者の髪型は、また違います。髪型は違うのは当たり前ですが、ボリュームの出し方や、髷の高さが違います。

髪結の仕事はやはり個人技です。地域色も強い。困るのは同じ髪型でも、地域によって、あるいは時代によって呼び方が違うことです。逆に丸髷のように同じ名称でも時代によって別物の髷もあったりします。

小川写真館で髪結さんと待ち合わせて撮影に臨んだ芸者衆ですが、なかには髪結さんが来なくて、洗いざらしの髪ので写っている、気の毒な芸者さんもいます。髪結さん、時間にルーズだったようです。

洗いざらしの髪のまま撮影した芸者さん、やはり美人。髪の洗い粉の宣伝モデルに起用されました。

丘圭・著